メインページへ戻る

核拡散の元凶、パキスタン核開発研究所をめぐる暗闘
持田直武 国際ニュース分析

2004年1月18日 持田直武

パキスタン政府が原爆の父、カーン博士の核開発研究所に捜査の手を伸ばした。同研究所の核技術がイラン、リビア、北朝鮮に流出したことは公然の秘密。カーン博士は大国の核支配に反発し、イスラムの核保有を主張するイスラム主義者。背後には、軍情報機関やイスラム過激派の影もちらつく。12月には、ムシャラフ大統領の命をねらう事件が2度も起きた。


・核拡散阻止の鍵を握るムシャラフ大統領

 パキスタン外務省は12月23日、カーン研究所の複数の科学者を核技術流出の容疑で取り調べたと発表した。その中には、同研究所前所長で、パキスタンの原爆の父、アブドル・Q・カーン博士も含まれている。外務省スポークスマンは「科学者が私欲から核技術を海外に横流しした兆候をつかんだ。責任者は法に基づいて処罰する」と述べ、初めて核技術流出を認めた。だが、カーン博士が流出に関係したかどうかには触れなかった。また、スポークスマンは「政府はこの流出にかかわっていない」と強調した。しかし、政府の関与なしで、核技術のような重要な国家機密を国外に出せるのか、疑問は多い。

 パキスタンは98年5月、核実験をして核保有国になったが、その前後からイラン、リビア、北朝鮮などに核技術が流出しているとの疑惑が強まった。中でも、同研究所が開発したウラン濃縮用の高速遠心分離機が流出したことはほぼ確実だった。しかし、パキスタンはNPT(核拡散防止条約)の加盟国ではないため、IAEA(国際原子力機関)が査察をすることはできない。だが、昨年後半からこの状況が変わる。イランが昨年10月、渋っていたIAEAの特別査察を受け入れる方針に転換。リビアも12月19日、核開発放棄、特別査察受け入れの方針を表明したからだ。

 IAEAがイラン、リビアの特別査察をすれば、パキスタンからの流出を確認できる。パキスタン政府が科学者を取り調べて、流出を認めたのは、そのIAEAの動きを見越し、先手を打ったとの見方もできる。あるいは、逆にパキスタンのほうが先に流出を認める方向に動いた結果、イラン、リビアが特別査察を受けざるを得ない立場に追い込まれたのかもしれない。背後で、双方を動かしたのは米英であり、米英に協力し、核拡散ブラック・マーケット追及の鍵を握るのがムシャラフ大統領である。


・米情報機関がムシャラフ大統領を護る

 だが、このムシャラフ大統領の対米協調路線には、内外から強い反発がある。12月には、2回の暗殺未遂事件も起きた。最初は12月14日、次が25日。2回とも首都イスラマバードからラワルピンジの私邸に帰る途中、橋に差し掛かった場所で襲われた。1回目の14日は、大統領が車で通過した直後に橋脚に仕掛けられた爆弾が炸裂。2回目の25日は、別の橋に差し掛かった時、2台の車が大統領の車列の前後に割り込もうとした。警護の兵士が阻止しようとすると2台とも爆発。1台は大統領の数メートル先、犯人たちは爆死し、大統領はかろうじて橋を渡った。

 1回目に使われた爆薬は、アル・カイダ系のテロだったバリ島の爆破事件で使われたのと同じだった。ロイターによれば、米情報機関はエジプト、スーダンなどから14人の不審者がパキスタンに向かったとの情報をキャッチし、パキスタン政府に伝えた。これら国際テロ集団の犯行か、まだ確認できないが、おとりの車列に見向きもせず、大統領の車をねらったこと、橋を通過する正確な時間を知っていたことなどから見て、大統領の身近警護に詳しい者が協力しているとの見方が消えない。

 同大統領は99年、無血クーデターで政権を握り、親米路線をとった。特に、01年の9・11事件後のテロ戦争に全面的に協力し、アル・カイダをはじめ、イスラム過激派の情報を米側に提供したといわれる。また、核技術流出では、米上院外交委員会で03年2月、アーミテージ国務長官代理が証言、ムシャラフ大統領が米政府に「かつて流出したが、すでに終わっている」と伝えたことを明らかにした。ムシャラフ政権は流出させないとの意思表示である。ブッシュ大統領は政権の2大目標、対テロ戦争と核拡散防止で、かけがえのない同盟者を得たと言ってよい。

 ブッシュ政権はこのムシャラフ政権に対し、核実験いらい続けていた経済制裁を解除したほか、数々の支援策で答えた。米ボストン・グローブ紙によれば、ムシャラフ大統領が12月14日の暗殺計画を間一髪逃れたのも、米情報機関が無線混乱装置を使って爆弾の爆発を遅らせたからだという。また、1月5日、同大統領がイスラマバードでインドのバジパイ首相と画期的な首脳会談をした時は、米情報機関が両者の車列が通過する道順を決め、望遠照準付き特殊銃を持った狙撃兵が沿道を固めた。パキスタン大統領の警護を米情報機関が受け持っているに等しい。


・反大統領派の偶像、イスラムの核を目指すカーン博士

 このブッシュ政権のムシャラフ支援が反大統領勢力を増殖させる悪循環を招いている。その中心に、軍情報機関やイスラム政党があり、その一部はアル・カイダなど国際テロ組織と繋がっている。イスラムの核を目指す原爆の父、カーン博士はこの勢力の偶像的な存在だ。同博士は1936年、インド生まれの67歳、熱心なイスラム教徒である。パキスタンに52年に移住、カラチの大学を卒業後、61年西ベルリン工科大学に留学した。その後、ベルギーに移って、ルーベン・カトリック大学で工学博士号を取得、72年からはオランダ・アムステルダムの物理力学研究所で研究を続ける。同研究所では当時、英独オランダ3国が共同で最新鋭の高速遠心分離機を研究中で、カーン博士もこれに日常的に接することが可能だった。

 その博士が76年、突然帰国した。そして、当時のブット首相の特命を受け、パキスタン核開発研究所の所長になる。2年前の74年、宿敵インドが核実験を実施し、パキスタンは国を挙げて対抗策を練っていた時である。一方、博士が去ったあとのアムステルダムでは、博士が重要な設計図を持ち去ったとの疑いが強まった。捜査当局は、博士が出国直前まで接していたドイツ語の遠心分離機の設計図、G−1、G−2の2つを持ち去ったと断定。オランダ裁判所は博士欠席の法廷で、有罪の判決を下した。

 パキスタンは98年5月、濃縮ウランを使った核爆弾5発を爆発させ、核保有国になる。カーン博士のおかげで、発展途上国パキスタンがウラン濃縮技術を持ったのだった。1月4日付けのニューヨーク・タイムズによれば、博士はかねてから核情報を米英中ロの5大国が独占し、その一方でイスラエルの核保有を放置する核拡散防止体制に不満を表明。「西側諸国はパキスタンの敵であり、イスラムの敵である」と公言して憚らなかったという。この考えが博士の行動の背景にあり、イスラム主義政党や軍の一部が博士を強く支持する理由でもある。


・カーン研究所開発の核技術が次々と流出

 カーン博士の核開発研究所はパキスタンの核兵器製造の中心になっただけでなく、開発した技術を次々に海外に流出させた。これまでにわかっているだけでも、次のような国が関係している。

中国
 パキスタンの核兵器開発は65年に始まるが、それを最初に支援したのが中国だった。中国はその前年の64年、濃縮ウランを使う核爆発に成功。ニューヨーク・タイムズによれば、米国務省はこの技術がパキスタンに流出したと断定している。しかし、この中国からの核技術の流れはその後逆転、パキスタンから高速遠心分離機の技術が中国に流れるようになる。

 98年5月のパキスタン核実験のあと、カーン博士が地元の新聞、The Newsに語ったところによれば、パキスタンは78年に最初のウラン濃縮に成功、翌年には濃縮工場を稼動させたという。同博士が研究所長に就任してわずか3年後だ。同博士がオランダから持ち帰った高速遠心分離機の設計図が基礎になったことは明らかだった。これに中国が開発した環状磁石やマグネチック・サスペンション・ベアリングが組み込まれ、中国の原型よりはるかに高性能の遠心分離機になったといわれる。

リビア
 リビアは73年、パキスタンと協定を結び、資金とウラン鉱石を提供した。その見返りが核技術の提供だった。リビアの実力者カダフィ大佐の息子サイフ・カダフィ氏は1月4日付けの英サンデー・タイムズのインタビューに答え、パキスタンからの核技術購入に4千万ドルほど支払ったと語った。しかし、サンデー・タイムズは別の関係者の話として、パキスタンの科学者たちに払っただけでも、数年間にわたり1億ドルを超えると伝えた。また、ムシャラフ大統領はこの取り引きについては知らなかったようだとも伝えた。科学者たちがこの資金を全額個人のポケットに入れたとは考えられず、背後の軍やイスラム政党に流れたのではないかとみられる。

 また、リビアはパキスタンからの直接購入のほか、国際ブラック・マーケットで大量の関連部品を購入したことも次第に明らかになっている。昨年10月、米英の情報機関がスエズ運河からリビアに向かうドイツの貨物船を拿捕、数千万ドル相当の遠心分離機の部品を押収したが、この中にはマレーシアで製造された部品もあった。パキスタンの技術が同国に流出、ブラック・マーケットの一角を担っていることがわかる。このほか、南アフリカやドバイもこれに加わり、特にドバイにはパキスタンの核技術をセールスする仲介人の接触の場になっている。

イラン
 パキスタンとイランの核協力は87年頃から始まった。イランはそれまで独自の核開発計画を推進したが失敗、パキスタンの高速遠心分離機を密かに導入した。それが表面化するのは02年8月、イラン反体制派がウラン濃縮施設の存在を暴露してからだ。IAEAが査察に入り、03年春イラン中部ナタンズの濃縮施設で未報告の濃縮ウランを発見、秘密の核開発が裏付けられた。イランのサレヒIAEA担当大使は「外国から購入した遠心分離機に付着していた」と釈明したが、遠心分離機の購入先は明かさなかった。しかし、パキスタンであることは疑問の余地がなかった。1月19日付けのタイムによれば、昨年からのIAEAの特別査察で、パキスタンから流入した証拠が発見されているという。

北朝鮮
 パキスタンが北朝鮮に高速遠心分離機を渡すのは97年からである。きっかけは、米クリントン政権がパキスタンに経済制裁を科したことだ。パキスタンは93年、中国から中距離ミサイルM−11を購入。クリントン政権はこれをミサイル関連技術輸出規制(MTCR)違反として、中国とパキスタンに経済制裁を科した。それ以来、パキスタンはミサイル購入先を北朝鮮に変更。北朝鮮からノドン・ミサイルを購入、その見返りに97年から遠心分離機を提供した。カーン博士がこの頃、CIAが確認しただけでも13回、北朝鮮を訪問したという。

 北朝鮮は94年にクリントン政権と枠組み合意を締結、核開発の凍結を約束した。高速遠心分離機の導入はこの約束を破ったことになる。核問題の専門家セイモアー・ハーシュ記者が03年1月27日付けのニューヨーカー誌に掲載した論文によれば、CIAは02年6月にまとめた極秘文書NIE(National Intelligence Estimate)でこの遠心分離機の導入を指摘していた。この背景には、9・11事件後のムシャラフ政権の対米情報協力があることは容易に想像できる。この北朝鮮の濃縮ウラン核開発が表面化するのは、02年10月、訪朝したケリー国務次官補に対して、北朝鮮が計画の存在を認めてからだが、ブッシュ政権はその4ヶ月前に情報を掴んでいたことになる。

 最近になって、北朝鮮は濃縮ウランによる核開発を否定、ケリー次官補に認めた事実はないと主張するようになった。6ヶ国協議の仲介役、中国の関係者もこの主張に組するかのような発言をしている。ブッシュ政権としては、こうした北朝鮮の主張と対決する上でも、ムシャラフ大統領の協力は欠かせないことになる。


・米情報機関とイスラム過激派が核兵器の奪い合いも

 03年の暮れ、イスラム世界の政治状況には、これまでにない変化が起きた。核拡散防止面では、既述のようにイランが特別査察受け入れ、リビアが核開発放棄。外交面では、イランとエジプトが関係正常化の動き、シリアとトルコも関係改善、そしてムシャラフ大統領はカーン研究所に捜査の手を伸ばし、インドと対話を開始した。米英はじめ西側諸国には願ってもない動きだが、イスラム原理主義者や過激派を刺激することは明らかだ。ビン・ラディンが1月4日、アルジャジーラを通じて、米英に対する闘争とともに、イスラム諸国の現体制打倒を呼びかけたのはその現われだ。

 イラク戦争後、世界の眼はイラクに向きがちだが、対決の最前線はパキスタンに移っている。カーン博士は98年の核実験のあと、The Newsのインタビューに答え、「パキスタンの歴代大統領、首相は核開発を全面的に支援し、軍出身の大統領の中にはほとんど毎月研究所を訪れて関係者を激励した例もある」と語っている。それに較べ、ムシャラフ大統領は軍出身でありながらまったく逆の行動をし、パキスタンを裏切ったということになる。その象徴的な出来事が2001年春、ブッシュ政権の圧力を受け、ムシャラフ大統領がカーン博士を研究所の所長ポストから外したことだ。

 パキスタン核実験のあと、米情報機関は混乱が起きた場合、核を米の直接管理下に置く対策を練っていると伝えられたことがあった。カーン博士は上記のインタビューで、パキスタンは5個の核弾頭の実験をしたが、そのうち4個は中距離ミサイルに搭載可能な小型核兵器だったと述べている。ムシャラフ大統領に万一のことがあった場合、状況は当時より深刻になると考えなければならない。米情報機関とイスラム過激派がパキスタンの核兵器を奪い合う事態もあり得ないことではない。


掲載、引用の場合は持田直武までご連絡下さい。


持田直武 国際ニュース分析・メインページへ

Copyright (C) 2004 Naotake MOCHIDA, All rights reserved.