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北朝鮮の核危機(25) 脱北者の影
持田直武 国際ニュース分析

2004年8月16日 持田直武

脱北してさまよう者は人権団体の推計では、30万人から50万人。国連の推計は10万人。韓国政府の推計は3万人から5万人。中朝国境を越えて、中国政府の監視の目を避けながら、一部は北のロシア、モンゴルへ。また、一部は東南アジアへと向かう。7月末、東南アジアから468人が集団で韓国に到着した。北朝鮮は「体制転覆をはかる最大の敵対行為」と態度を硬化させているが、流れは止まらない。


・周辺諸国にあふれだした脱北者

 7月27日、200人余りの脱北者を乗せた旅客機1機が韓国入りした。翌日にはまた1機。到着した脱北者は合わせて468人、一度にこれだけ多くの脱北者が着いたのは初めてだ。韓国政府は旅客機を手配したが、どこから彼らを乗せてきたかについては明らかにしていない。送り出した国に迷惑がかかるという理由である。韓国の新聞、テレビはどこの国かほぼ見当をつけているが、国名は慎重に避けている。

 今年になって韓国入りした脱北者はこれで約1,300人。これまでの総計は約5,600人。だが、これは脱北者の氷山の一角にしか過ぎないようだ。7月27日付けの朝鮮日報によれば、中国との国境を越えてさまよう脱北者は、支援団体の推計では30万人から50万人。国連の推計では10万人余り、韓国政府の推計は3万人から5万人という。韓国の鄭東泳統一院長官は数年以内に年間1万人が韓国入りするかも知れないと発言した。ところで、北朝鮮の人口は約2,270万人である。

 これら脱北者のうち、念願の韓国にたどり着くのは、最も多かった過去1年間でも2,000人程度。多くの脱北者は、北朝鮮を脱出したものの、中国当局に捕まって送り返される。上記朝鮮日報によれば、中朝国境にある税関では、1日に数十人から数百人の脱北者が手錠をかけられて送還されているという。これを逃れた者が、中国東北部の朝鮮族の居住地区に隠れ、さらに北のロシア、モンゴルに向かうか、または南下して東南アジアに向かうという。


・敬遠され、厄介者扱いに

 送り返された脱北者を待っている運命は、想像も付かない。だが、それを運よく逃れても、快く迎えてくれる地があるわけではない。中国政府は脱北者を不法入国した犯罪者として取り締まり、逮捕して送還する。国連は脱北者には経済難民としての資格を認めるよう勧告しているが、中国はこれを受け入れない。北京の外国公館に逃げ込んだ脱北者だけは、中国政府も相手国の要求を受け容れて第三国に出国させるが、これは例外中の例外である。最近北京の外国公館の警備が厳しくなり、脱北者も簡単には逃げ込めなくなった。

 そこで、脱北者は南を目指すか、北に向かうしかなくなった。しかし、そこでも厄介者扱いであることには変わりがない。7月末韓国政府が旅客機を手配して468人の脱北者を運んだのも、彼らの扱いに困った東南アジアの某国政府が韓国に引き取りを強硬に迫ったためという。某国政府は、北朝鮮と友好関係を維持しているが、脱北者が逃げ込むようになって険悪な雰囲気が生まれていた。この某国はじめ各国は、自国が韓国行きルートになるのを警戒している。

 脱北者が念願の韓国にたどり着いても、競争の激しい韓国社会への定着に苦労する。彼らは韓国到着後、2万3,000ドルの定着金、毎月375ドルの支援金を政府から支給され、2ヶ月の職業訓練を受ける。だが、不況が長引く現在の韓国では、就職先は多くはない。それに、脱北者はコンピュータ操作や英語などのレベルが低く、仕事があっても単純労働にしか就けない場合が多いという。2001年に脱北者を対象にした調査では、20%は仕事がなく、32%はフリーターだった。


・北朝鮮は体制転覆をはかる敵対行為と非難

 北朝鮮は7月29日、祖国平和統一委員会の声明を発表、脱北者の韓国入りについて「南朝鮮当局の計画的な拉致行為」であり、「我々の体制を転覆しようとする最大の敵対行為」と厳しく非難。8月3日に予定していた南北将官級会談をボイコットした。北朝鮮は97年1月、労働党書記黄長Y氏が韓国に亡命した時、「南朝鮮の拉致行為」と非難したが、その後の脱北者の韓国入りについては沈黙していた。しかし、89年東ドイツから流出した難民が引き金となって、東欧共産圏が崩壊した例もあり、北朝鮮も深刻に受け止めているのは間違いない。

 朝鮮日報によれば、北朝鮮当局は今年4月、中朝国境地帯に4重の監視態勢を敷いた。国境に最も近い第一線は国境警備隊、第二線は国家安全保衛部、第三線は労働赤衛隊、第四線は人民軍が受け持ち、主な脱北ルートに落とし穴を掘った。しかし、この厳重な監視態勢もカネを渡せば、通過できるという。国境を越えるのに韓国ウオンで50万ウオン。さらにベトナムやモンゴルに行くには、200万から300万ウオンが相場。韓国政府が脱北者に支払う定着金2万3,000ドルがこれに密かに回るらしいという。参考までに、8月13日のレートは1ドルが1,157ウオンである。

 韓国政府は「第三国に滞在する脱北者が韓国入りを希望すれば、人道的立場から全員受け入れる」との立場をとっている。脱北者の支援団体も政府に対して対策の強化を要求している。しかし、韓国国内の世論は単純ではない。朝鮮日報によれば、政府の中には、「脱北者数万人の受け入れが実現した時、韓国国民がそれによって生じる各種社会問題を受け入れるだろうか」と反問する当局者もいるという。韓国政府が脱北者の定着施設ハナ院を建設した時、建設地の周辺住民を説得するのに時間がかかり、建設が数年遅れたことはよく知られている。

・米の強硬策と韓国のためらい


 韓国の与党ヨルリン・ウリ党は7月26日、米議会下院が可決した「北朝鮮人権法案」を慎重に検討するという方針を決めた。同法案が脱北者の増加を促し、朝鮮半島の平和に否定的な影響を及ぼす可能性があるというのだ。これについて記者会見した同党の柳宣浩議員は「否定的な影響」という表現の意味について、「法案の内容が北朝鮮の自尊心を傷つけ、北朝鮮の立場から見れば、体制崩壊と関連した圧迫と受け止められる可能性がある」と説明した。

 この「北朝鮮人権法案」は、米政府に対し、1、人権問題を各種交渉の主要議題に含める。2、人権支援団体に財政援助。3、脱北者への難民資格認定拡大。4、北朝鮮への人道支援の透明性と監視の強化。5、北朝鮮向け放送の強化とラジオの供給。以上のような項目を含み、7月21日満場一致で下院を通過。上院の通過も確実視されている。法律として発効すれば、北朝鮮国内の自由や人権問題に対する介入、脱北者の支援活動を勢い付かせるだろう。北朝鮮がこれを体制変革に関連した圧迫と見ることは容易に想像できる。

 韓国与党内には、こうした米国の強硬策に対して強いためらいがある。与党系の団体が開催する討論会では、「この法案に従って、米政府が6カ国協議に人権問題を持ち出せば、状況が複雑化し、解決を遅らせる」、「米政府の介入が北朝鮮を硬化させ、人権状況をむしろ悪化させる」などの懸念が目立った。だが、脱北者問題も、核開発問題も、金正日体制に根ざす問題であり、根本的な解決を目指すなら、強い姿勢も必要になる。現状では、脱北者が増え続けることも確実で、いずれ韓国だけで負担するのは無理になる。6カ国協議の場や、国連を介した多国間の解決策を探さなければならない。

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