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CIA秘密工作員身元漏洩事件の奇妙な展開
持田直武 国際ニュース分析

2005年12月5日 持田直武

ブッシュ政権の複数の高官が4人の記者に工作員の身元を漏らした。最初に聞いたのは、ワシントン・ポストのウッドワード記者。特別検察官に対し、同記者は「身元の話は即席で、偶然に出たように思う」と証言し、計画的な漏洩との見方を否定。同記者はウオーターゲート事件を追及、ニクソン大統領を辞任に追い込んで名を馳せたが、今回はブッシュ政権を擁護にまわった。


・ブッシュ政権が喜ぶウッドワード記者の証言

 身元漏洩事件は、ウイルソン元大使のイラク戦争批判を抑えるため、ブッシュ政権高官が同大使のプレイム夫人の身元(CIA秘密工作員)を意図的に漏らしたのかどうかが焦点である。従って、政権高官が記者にそれを漏らした時、記者側ががどんな印象を持ったかが重要な意味を持っている。漏洩を最初に聞いたウッドワード記者は11月16日、ワシントン・ポスト(電子版)に声明を発表、14日にフィッツジェラルド特別検察官に対し、これに関連して次のように証言したことを明らかにした。

 それによれば、ウッドワード記者は03年6月、ブッシュ政権高官3人と個別にインタビューをした。6月中旬、その中の1人が「プレイム夫人はCIA秘密工作員で、大量破壊兵器担当の分析官だ」と語ったという。同記者は、その時の状況について、「身元の話は即席で、偶然出たように思う。身元が秘密になっているとか、慎重な取り扱いが必要な事柄とは思えない話し方だった」と証言。さらに、同記者自身も「CIAの分析官は秘密工作をするポジションではないと思っていた」と証言し、高官が秘密を漏らしたとは認識していなかったことも明らかにした。

 ウッドワード記者は、この高官との約束を理由に、高官の名前やインタビューの日付を公表していない。しかし、この高官はすでに特別検察官のもとに出頭して同記者とのやり取りを証言したという。この事件では、チェイニー副大統領の主席補佐官だったリビー氏が起訴されているが、訴因は特別検察官の捜査を妨害した罪で、秘密工作員の身元を漏洩した罪状で起訴された高官はまだいない。今後起訴があるとすれば、ウッドワード記者に漏らした、この高官か、あるいはローブ大統領副主席補佐官と見られているが、同記者の証言はその根拠を弱め、事件全体の意味を薄めることになるのは確実。ブッシュ政権にとっては願ってもないことになった。


・微妙になったローブ補佐官の漏洩罪による起訴

 秘密工作員の身元漏洩を禁止する法律、IIPA(情報関係者の身元保護法)は冷戦時代の1947年に制定された。適用を受ける工作員は、1)秘密工作を任務とし、2)海外任務から帰任して5年以内、3)政府の保護措置のもとにあることが条件。保護下にある工作員の身元は、権限を持つ少数の政権幹部しか知らず、もし外部に漏らせば最高懲役10年の重罪となる。身元漏洩は工作員の身の安全を危険に曝すほか、米国の情報活動が表に出て、国家の安全に重大な影響を与えるとの理由からだ。

 今回のプレイム夫人の身元漏洩は発覚したのが03年7月14日。コラムニストのノバク氏が契約紙に配信したコラムで、「ブッシュ政権の高官2人によれば、ウイルソン元大使のプレイム夫人はCIAの秘密工作員。同元大使がCIAの密使として、フセイン政権の核兵器用ウラニウム購入疑惑調査のため、アフリカのニジェールに派遣された背景には、同夫人の推薦があった」と暴露した。高官2人がIIPAに違反し、秘密工作員の身元を漏洩したのだ。それ以来、特別検察官の捜査が続くが、起訴されたのは、リビー氏だけ、それも捜査妨害で、本筋の漏洩ではなかった。

 ニューヨーク・タイムズ12月1日(電子版)によれば、プレイム女史の身元をノバク氏に漏らした高官の1人は、ローブ大統領副主席補佐官だという。同補佐官は04年2月、事件を捜査している大陪審で証言、「漏洩した相手はノバク氏1人だけ」と述べた。しかし、その後、これが誤りだったと認め、「漏洩した相手は、ノバク氏とタイム誌のクーパー記者」と訂正した。特別検察官の狙いは、ローブ補佐官を本筋の秘密工作員の身元漏洩で起訴することにあると見られるが、それは難しいという見方も強い。ウッドワード記者の証言がその妨げになるからだ。


・漏洩の犯意の立証が困難に

 フィッツジェラルド特別検察官は11月28日、リビー氏を起訴した時、この捜査の狙いは、政府高官の誰が、何の目的で漏らしたのか、秘密と知っていて漏らしたのかどうかを突き止めることだと説明した。ウッドワード記者の証言は、この重要な2点、高官が目的を以って漏らしたのかどうか、また秘密と知って漏らしたのかどうかを否定する材料の1つとなる。裁判になった場合、弁護側がこれを武器として使うのは間違いないだろう。

 また、すでに起訴されているリビー氏にとっても、ウッドワード記者の証言は助け船になる。同氏は連邦大陪審に対する証言とFBI捜査官に対する供述など5件の偽証で起訴された。同氏がCIA工作員の身元を事前に知っていたのを隠し、NBCの記者から聞いて知った、あるいは報道関係者がそれを話題にしていたと供述したことなどが理由になった。しかし、ウッドワード記者によれば、同記者が03年6月27日リビー氏に会った際、持っていた質問状に工作員関連の項目があり、それを話題にした可能性があると証言した。リビー氏の弁護団はこれを反論の根拠にすることは間違いない。

 米国の陪審制では、検察側が提出した証拠に「合理的な疑問」が少しでもあれば、陪審員は無罪にしなければならない。保守派の主張を反映することで知られるワシントン・タイムズ紙は11月17日、上記のような点を指摘し、リビー氏が有罪になる可能性はなくなったとして、特別検察官は同氏の起訴を取り下げるべきだと社説で主張した。ブッシュ政権支持の保守派がウッドワード記者の証言内容に力を得て、反撃に転じたのである。


・ブッシュ政権の犯罪立証は困難に

 今回の身元漏洩事件は、イラク戦争におけるブッシュ政権の情報操作を初めて法廷の場に持ち出すものとして関心を集めた。ローブ大統領副主席補佐官とリビー副大統領主席補佐官のホワイトハウス幹部2人が揃って漏洩に関与したことが早くから疑われ、共謀があった可能性も否定できなかった。それに大統領と副大統領が関与していれば、弾劾問題に発展しかねない。また、これをあばく過程で、大量破壊兵器の問題やフセイン政権とテロ組織アルカイダの関係など、ブッシュ政権が主張した戦争の大義に解明のメスが入るのではないかとの期待もあった。

 だが、連邦大陪審が11月28日、リビー氏を起訴したあと、状況は一変する。ウッドワード記者が漏洩を始めて聞いた証人として検察官のもとに出頭、政権高官の漏洩は「即席、偶然に出た」とその時の印象を証言した。同記者は1972年に起きたウオーターゲート事件では、ニクソン大統領を追及して辞任に追い込んだが、今回は逆にブッシュ政権を擁護することになった。ウオーターゲート事件のあと、同記者は歴代政権に密着、著作を連発して億万長者になった。CIA秘密工作員の身元を聞いたのは、チェイニー副大統領にインタビューするため準備している時だったという。

 11月30日の朝日新聞によれば、ベトナム戦争の秘密報告、ペンタゴン・ペイパーズをニューヨーク・タイムズに渡して内部告発したエルズバーグ博士は、「ニクソン政権は私を中傷し、襲撃まで計画した。今回のCIA事件もホワイトハウスのイラク担当チームがかかわっていたようだ。どちらも政権を批判する告発者を中傷、攻撃する点がそっくりだ」と語っている。エルズバーグ博士は中傷にめげず告発したが、今回内部告発はない。ウオーターゲート事件で、内部告発を受ける側だったウッドワード記者は政権側にまわり、告発する相手がジャーナリズムから消えてしまったのだ。


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