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薄氷下のイラク駐留米軍撤退計画
持田直武 国際ニュース分析

2005年12月19日 持田直武

イラク駐留米軍の撤退が俎上にあがってきた。ブッシュ大統領は撤退の日程明示を避けているが、来年秋に中間選挙を控え、議会や世論の撤退圧力が増すのは確実。総選挙後に誕生するイラク新政権が撤退を要求する動きもある。問題は、米軍撤退後のイラク軍の治安維持能力。イラクはベトナムとは違うが、米軍撤退後、サイゴン陥落のような事態急変がないとは言い切れない。


・占領軍撤退はイラク各派の共通の目標

 米駐留軍は現在18個旅団、兵員16万人。11月23日のCNNによれば、国防総省はこのうち3個旅団、約3万人を来年春イラクから撤収。2個旅団は帰国するが、1個旅団はクエートに留まり、イラクの治安が悪化した場合に備える。そして、その後の状況が順調に推移すれば、年末までに兵員数を10万人以下、10個旅団規模に削減する計画という。一方、12月13日の英タイムズ紙も、総選挙後イラク新政権が発足し次第、米英両軍は撤退計画を具体化する見通しと伝えた。英軍は南部4州に8,000人が駐留しているが、来年春には2州から撤退するという。

 米英のこの動きに対し、イラク現政権のタラバニ大統領やジャファリ首相は当面懸念を隠さない。イラク治安部隊の治安維持能力がまだ充分ではないと判断しているからだ。しかし、イラク国内には撤退を要求する動きが強まっている。11月22日カイロで開かれたイラクのシーア派、スンニ派、クルド族の代表者会議が、外国軍隊の撤退で合意。撤退する時期には触れなかったが、3派の名前で撤退を要求する声明を出した。会議は、アラブ連盟が呼びかけ、撤退慎重派のタラバニ大統領も出席した。「占領軍」の撤退はいがみ合うイラク各派が唯一、合意できる共通の目標になった。

 中でも、撤退を強く主張しているのが、スンニ派。総選挙で一定の議席を確保すれば、外国軍撤退を要求する最右翼になると見られている。また、シーア派内でも、反米過激派のサドル師が早くから米軍撤退を要求。シーア派最高指導者のシスターニ師も最近サドル師支持にまわった。シスターニ師の秘書はAP通信に対し、「同師はイラク新政権が発足し次第、米軍撤退の日程表を要求することを検討している」と語った。そして、「米がもし拒否すれば、大規模な街頭行動を呼びかける」という。人口の60%を占めるシーア派は総選挙後の新政権でも主導的立場に立つのは確実。シスターニ師の撤退の主張は、そのまま新政権の主張となると見てよい。


・ブッシュ大統領は完璧な勝利にこだわる

 米国内でも、撤退の日程表要求は日を追って強まっている。しかし、ブッシュ大統領は「撤退日程の設定は敵に目標を与えるだけ」と拒否、「勝利まで撤退しない」という強気の立場を崩さない。ホワイトハウスが11月30日に発表した「イラク勝利のための国家戦略」によれば、この勝利とは「イラクが平和な統一国家として安定し、テロ戦争の責任あるパートナーとなる」ことである。それが確実になった時点で、米軍は撤退するというのが同大統領の主張。上記の米駐留軍3万人の削減は、総選挙時の治安確保のため増派した応援部隊の撤収ということになる。

 だが、米国民の多数はこのブッシュ大統領の勝利の戦略を信用していない。CNNが12月12日に発表した世論調査によれば、ブッシュ大統領の勝利のための戦略を信じているのは38%。過半数を超える58%は、そのような戦略は信じないと答えた。ニューヨーク・タイムズは12月1日の社説で、「米国民は、達成可能な成果を求めているのに対し、大統領は完璧な勝利に固執している」と分析。これは、ブッシュ大統領が、60年代のジョンソン大統領や70年代のニクソン大統領と同じように「少数の取り巻きに囲まれ、国民との接触を完全に失ったことを示している」と批判した。

 米議会も世論の動きを反映、次第にブッシュ政権批判の動きを強めている。11月初めには、上院が民主党の要求で異例の秘密会を開催して、イラク問題を討議。そのあと、ブッシュ政権に対して「06年中にイラク側に主権を完全返還すること」や、「イラク情勢を定期的に議会に報告すること」などを賛成79、反対19の圧倒的多数で決議した。議員の間には、かねてからブッシュ政権がイラク情報を議会に伝えないとの不満が根強く、決議には共和党の議員多数も賛成した。ベトナム戦争末期、ニクソン大統領は議会の反戦圧力に屈して、北ベトナムと和平協定を締結、ひ弱な南ベトナム軍に治安を託して米軍を引き揚げた。ブッシュ政権にも同じような圧力が加わってきた。


・ブッシュ政権が恐れるイラクの悪夢

 イラク駐留外国軍は、米、英、日本の自衛隊も含め、撤退日程を俎上に載せているが、それはそれぞれの国内事情からで、イラクの治安状況が改善したからではない。12月12日付けのタイム誌によれば、武装勢力側は現在でも1日2万人を動員する力を持ち、1ヶ月の攻撃件数は2,000件に達するという。これに対し、イラク軍は現在21万2,000人、120個大隊。11月24日のニューヨーク・タイムズによれば、このうち、米軍がサポートすれば戦える、レベル2の力を持つのは40個大隊しかないという。米軍の戦闘能力の評価はレベル1−5まで5段階だが、そのうち2ということになる。それでも、軍はまだ良いほうで、警察部隊はさらに劣るという。

 このイラク軍や警察部隊に代わって、力を伸ばしてきたのが、シーア派の民兵組織である。中でも、反米過激派のサドル師が指揮するマフディ軍団は警察部隊に浸透、警察組織を操って自派の勢力を拡大している。総選挙にも自派の候補を擁立、投票前から新政権の閣僚ポストを要求、米紙の中には、サドル師をイラクのキングメーカーと書きたてるものもある。ホワイトハウスは上記の「イラク勝利のための国家戦略」で、「イラクが平和な統一国家として安定し、テロ戦争の責任あるパートナーとなる」目標を掲げ、総選挙や新政権の樹立はその中間段階と位置づけたが、イラクの現状はそのシナリオと遠くかけ離れているとしか思えない。米議会上院がブッシュ政権にイラク情報を定期的に報告するよう決議したのも、そんな疑問があるからだ。

 では、米軍がイラク軍に治安維持をまかせて撤退すればどうなるか。11月17日のニューヨーク・タイムズは社説で次のように予想した。「イラクは北部のクルド族地域、南部のシーア派地域、中部のスンニ派地域に分裂。内戦と少数派住民の迫害が続き、中西部は国際テロ組織の訓練場となり、南部シーア派はイランと同盟して守りを固める。そして、中東における米国の道義的権威と軍事的影響力は失墜、まさに究極の悪夢である」。ニューヨーク・タイムズはこのような観点から、米軍の独断的な撤退には再三反対を表明している。


・米軍は残るも地獄、引くも地獄か

 イラクはベトナムとは多くの点で違うが、米軍が性急に撤退すれば、事態は急変、サイゴン陥落のようなサプライズが充分ありうるだろう。しかし、米軍がブッシュ政権の描くようなシナリオに従って駐留を続ければ、米国内やイラク国内の不満は高まり、中東諸国は米国の真意を疑い、テロの火種になりかねない。米軍が残っても地獄、引いても地獄の可能性があるのだ。ブッシュ政権の独断的開戦がもたらした重荷である。


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