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中東安定への遠い道
持田直武 国際ニュース分析

2007年1月7日 持田直武

ブッシュ大統領が内外の反対を押し切って米軍を増派する。今のイラク軍には、国を護る力がないのは事実。また、公平な法秩序も期待できないことは、フセイン元大統領がシーア派によってリンチ同様に処刑されたことでも分る。では、米軍の増派で秩序が取り戻せるのか、これも見通しは立たない。マリキ首相は米軍増派を警戒し、米軍とシーア派民兵の衝突の恐れもある。


・混乱イラクの象徴的シーンとなったフセイン処刑

 イラク政府がフセイン元大統領を処刑したのは12月30日。ブッシュ大統領はただちに声明を発表、「死刑は公正な裁判に基づいて執行された。イラク国民が法に基づく社会を作るとの意思を示したもので、イラク民主化の重要な節目だ」と強調した。だが、テレビで処刑シーンを見た人はこの声明に違和感を覚えたに違いない。1月4日のニューヨーク・タイムズの社説は「処刑は正義の執行とは似ても似つかぬものだった。米軍は元大統領をシーア派暴徒のリンチにまかせた」と酷評した。

 処刑のビデオは2つあった。1つは、国営テレビが処刑直後に放映した公式映像。スキーマスク姿の立会人が元大統領に首縄をかけるシーン、白布に包まれた元大統領の死に顔などで、音声はない。もう1つは、カタールのテレビ局アル・ジャジーラやインターネットが流した非公式映像で、処刑後の元大統領の首がねじれたシーンなどゾッとする場面が加わっていた。同時録音の音声は、元大統領の政敵モクタダ・サドル師を称える「モクタダ、モクタダ」の叫び声や「地獄に落ちろ」の罵声も収録していた。

 この映像で見るかぎり、処刑は、ブッシュ大統領が表明した「イラク国民が法に基づく社会を作る意思を示した」というより、「暴徒のリンチ」を彷彿させる。米軍のコールドウエル報道官は記者会見で「我々が実施すれば、違うやり方をした」と米軍も不満を持っていることを隠さなかった。こうした批判に対して、マリキ首相は内務省に調査を指示、映像を外部に流出させたとして護衛1人を逮捕した。問題を映像の流出に矮小化してしまい、ブッシュ大統領の高邁な声明と噛み合わない。


・処刑をめぐるブッシュ政権とイラク政府の溝

 米とイラクはフセイン元大統領の死刑執行自体についても意見が違っていた。ニューヨーク・タイムズによれば、マリキ首相は12月26日、元大統領の死刑が確定すると、直ちに執行の決定をし、米軍に身柄の引渡しを求めた。だが、米側はこの性急さを懸念し、法に従って執行するよう求めた。イラク憲法は、死刑の執行には大統領と2人の副大統領の3人全員が賛成することが必要とも規定している。この間、米側としては死刑に反対するスンニ派の動きや、エジプトなどアラブ諸国、EUの反応などを探りたいとの意向があった。

 また、場合によっては死刑の執行延期の可能性を考えられた。大統領と副大統領の全員が執行に賛成することはないと思われたからだ。タラバニ大統領は元大統領に迫害されたクルド族出身だが、死刑に原則的に反対する立場を表明していた。また、副大統領の1人はスンニ派出身で元大統領の死刑に賛成するはずがないと見られていた。しかし、タラバニ大統領は処刑1日前の29日、マリキ首相宛に手紙を送り、「処刑に反対しない」と伝えた。2人の副大統領とも協議せず、大統領単独の判断だった。

 実は、タラバニ大統領は死刑執行の法手続きについて高等法廷の判事に問い合わせた。その結果、元大統領に死刑判決を言い渡した特別法廷はイラクの法組織の枠外にあるため、イラク憲法の制約を受けないという解釈になったという。大統領の手紙を受け取ったマリキ首相は翌30日未明、元大統領の死刑執行を指示した。当日は、スンニ派の祭日の初日で、慣例として死刑などは執行しない日だった。マリキ首相が属するシーア派の祭日は1日遅れで始まる。スンニ派が反発したのは言うまでもない。


・米軍とシーア派民兵組織との戦闘の可能性も

 フセイン元大統領の処刑はイラク国内の宗派対立を煽るだけでなく、中東各国にも深刻な懸念を生んでいる。エジプトのムバラク大統領は11月9日、元大統領の処刑に反対する声明を発表、中止を要求した。また、サウジアラビアのアブドラ国王も11月25日、リヤドを訪問したチェイニー副大統領に対し、「米軍が撤退すれば、サウジがスンニ派を支援し、シーア派の勢力拡大を阻止する」との強硬姿勢を示した。イラクでシーア派の勢力が拡大すれば、中東のシーア派とスンニ派の勢力バランスが崩れ、イランのシーア派政権の影響力が浸透するとの警戒もある。

 この状況の中、ブッシュ大統領は今週半ば、米軍を2万人増派、このうち半数をバグダッドに投入して治安を確保する新作戦を公表する予定。しかし、マリキ首相はこの増派案に乗り気ではない。ブッシュ大統領は1月4日、同首相と2時間にわたってテレビ会談をした。AP通信が同首相の政治顧問アスカリ氏の話として伝えた内容によれば、マリキ首相は米側の提案に対し最後まで明確な回答をしなかったという。増派する米軍が首都の治安回復の一環として、シーア派の反米強硬派サドル師の民兵組織を解体するのではないかと警戒しているという。

 マリキ政権はフセイン政権が崩壊したあと、一連の民主的手続きを経て成立したが、実態はシーア派政権である。イラク国内ではスンニ派と対決路線を強め、対外的には同じシーア派のイランやレバノンのヒズボラなどと連携。ブッシュ政権とは相容れない動きが目立ってきた。その動きの中心にいるのが、強硬派サドル師である。ブッシュ政権が同師のシーア派民兵組織の解体に手を出せば、民兵と米軍の戦闘に発展、それは中東全域のシーア派を敵にまわすことになりかねない。


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