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米大統領選挙 保守、穏健、リベラル派3派の死闘(2)
持田直武 国際ニュース分析

2012年2月12日 持田直武

共和党の大統領候補指名争いが長引く様相になった。保守派多数の共和党は穏健派のロムニー氏を大統領候補とすることができない。米国は保守派とリベラル派が政府の役割をめぐって激しく対立している国である。ロムニー氏を大統領候補とすることは、保守派がリベラル派の軍門に降るに等しいと考えるのだ。


・共和党内の穏健派と保守派3候補の対決続く

 米政治を動かす政治理念として保守、穏健、リベラルの3つがある。ギャラップ世論調査所が昨年8月発表した調査結果によれば、共和党員の71%は「自分は保守派だ」と考えている。「穏健派」と考えているのは24%、「リベラル派」は3%である。1月3日から始まった共和党の大統領候補を決める党員集会と予備選挙では、穏健派のロムニー候補が代議員獲得数でトップに立ち、ギングリッチ候補はじめ3人の保守派候補があとを追う展開になっている。

 党員集会と予備選挙は7月末まで続くが、予想外の事態がなければロムニー候補が指名獲得を確実にする可能性が高い。その場合、保守派が多数の共和党が党の大統領候補に穏健派を推戴するという近年初めての事態になる。共和党内には保守派の候補を1人に絞って、保守派が党大統領候補の座を確保するべきだという意見も強いが、なかなかそうなりそうもない。支持者からの献金が続く限り、候補者は運動を続ける。その結果、予備選挙で代議員の配分が進んで勝者と敗者がはっきりするまで、共和党は穏健派ロムニー候補と保守派3候補の死闘が続くことになりそうだ。

 この共和党の動きの一方で、民主党はオバマ大統領が再選を目指すことで早くから一本化した。共和党のような政治理念の争いは見られない。オバマ大統領はイリノイ州の州上院議員時代からリベラル派として知られ、大統領就任後も国民皆保険制の導入などリベラル派の政策を推進している。ギャラップの調査によれば、民主党員の39%は「自分は穏健派だ」と答えている。「リベラル派」と答えたのは38%、「保守派」と答えたのが23%である。オバマ大統領の支持層はリベラル派と穏健派だが、民主党内はこの両派を合せると77%になる。大統領再選を目指すに当って、オバマ大統領の党内の支持基盤は安定している。


・リベラリズムの限界がリベラル派を生む

 米国で保守、穏健、リベラルの3派に分ける場合、その根拠となるのは政府の役割に関する主張の違いである。それも、1776年の独立宣言と1787年制定の憲法にまで遡る問題が多い。因みに政府の役割について、独立宣言は次のように主張している。「造物主(キリスト教の神)は人間を平等に造り、誰も奪うことができない権利を人間に与えた。その中には生命の権利と自由の権利、幸福を追求する権利などがある。人間はこれらの権利を守るため政府を作る」。人間の自由と権利に最大限の価値を置き、政府の役割はこれを守ることにあるというのだ。

 この独立宣言の主張は17世紀から18世紀にかけて活躍した啓蒙思想家イギリスのジョン・ロックやフランスのジャン・ジャック・ルソーが唱えたリベラリズム(自由主義)が背景になっている。当時、欧州諸国は絶対君主の独裁体制から脱して、市民が主導する自由な社会へと変革する激動期だった。個人の自由と権利を重視するこのリベラリズムの思想は欧州の旧体制と対決する市民階級の思想的武器となり、米国の独立やフランス大革命を推進する大きなエネルギーを生み出した。そして現在もリベラリズムは世界の民主主義国家の主導理念となっている。

 米国はこのリベラリズムを基に発展した国家の典型である。憲法は国民の自由と権利を最大限に保障し、主権在民に基づく政治体制を規定。同時に経済には民間の活力を重視する市場経済を導入した。この体制下、米国は独立後100年余りで工業生産は世界一の経済大国に躍進。カーネギーの鉄鋼財閥、ロックフェラーの石油財閥、メロンの銀行財閥なども続々と誕生した。そんな繁栄の最中、1929年の大恐慌が起きるのだ。株は暴落、失業者は街にあふれ、社会は大混乱になった。憲法が規定した政府の権限では解決できない事態が起きたのである。いわばリベラリズム憲法の限界だった。その解決を目指して登場したのがリベラル派である。


・憲法が傷ついても国民は救わなければならない

 大恐慌は29年10月24日に始まり、その後地震の余震のような混乱が30年代後半まで続いた。企業が次々と倒産、銀行の取り付け騒ぎやデモが頻発。恐慌開始3年後には生産は半減、失業者は1283万人と米国の全労働者の4人に1人となった。当時はフーバー大統領の共和党政権だったが、打つ手が遅れた。同大統領は市場経済の信奉者として知られ、恐慌は経済の自主的回復力で収拾できるという考えだった。事態は日に日に悪化したが、本格的な取り組みは32年の大統領選挙で当選した民主党のルーズベルト大統領の就任まで待つことになった。

 現在まで続くリベラル派はこの時ルーズベルト大統領の下でニューディール政策を推進した専門家集団が起源となった。同大統領自身は専門家集団をブレーン・トラストと呼んだが、米国内ではその後この専門家集団の周辺に巨大なニューディール連合が生まれ、リベラル派と呼ばれるようになる。伝統あるリベラリズムを少なからず変更するというニュアンスがある。事実、この時ルーズベルト大統領が実施したニューディール政策には個人の自由や権利を侵害する立法がかなりあった。最高裁判所も35年ニューディール政策を支える柱の1つ全国産業復興法を憲法違反と判決、翌年には農業調整法も憲法違反との判決を下した。

 しかし、ニューディール推進派の間では「たとえ憲法が傷ついても、国民は救わなければならない」という意見が強かった。政府の役割を重視するリベラル派の代表的な論理だが、世論はこれを支持し、ルーズベルト大統領はその後1944年の大統領選挙まで史上初めて4選を重ねることになった。これを支えたのがリベラル派を中心とするニューディール連合で、その流れは60年代のケネディ大統領などに引き継がれ、オバマ大統領へと続いている。リベラリズムの伝統に忠実な保守派がこのリベラル派の勢力拡大に危機感を抱いたのは当然だった。


・保守派は政府の役割拡大に危機感

 現代の米保守派の理念を最初に体系化したのは1955年保守派のオピニオン誌「ナショナル・レビュー」を創刊したウイリアム・バックリー氏と言われる。同氏はその創刊号で政府の役割について次のように述べている。「政府の仕事は市民の生命と自由、財産を守ることである。政府がこれ以外の事に手を出せば、それだけ国民の自由は少なくなり、発展の妨げとなる。従って、我々は政府の役割拡大と常に闘わなければならない」。リベラル派に対する闘争の呼び掛けである。

 バックリー氏の見方では、ニューディール政策以来、リベラル派は現実の問題への取り組みを重視し、憲法の規定を軽視する傾向があった。同氏はそこで厳しい闘争宣言を出したのである。その後、保守派内にはこの呼び掛けに呼応して、減税で小さい政府を主張する政治保守派、妊娠中絶や同性結婚に反対する社会保守派、均衡財政を主張する経済保守派などが結集。1981年に就任したレーガン大統領はこれら各派の連合を実現させ、保守派の黄金時代を築いたと評価されている。

 リベラル派、保守派はその起源に定説があるが、穏健派にはそれがない。保守でもなく、リベラルでもないという意味で使う場合もあり、決まった規定はない。共和党の大統領候補指名争いでトップを切るロムニー元マサチューセッツ州知事は穏健派と言われるが、本人は保守派と最近主張している。しかし、かつては穏健派と主張し、妊娠中絶を容認する発言をした記録もある。保守派はこうした発言を重視し、ロムニー候補を共和党の大統領候補に指名することは、リベラル派の軍門に降るのと同じと主張している。
(保守派、穏健派、リベラル派各候補の具体的主張については次回も取り上げる。)


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