講演のレジュメ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本政治を漱石の視点からみれば (2005年8月 都内婦人団体会合) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1)夏目漱石「内発的・外発的開化」 日本の近代化、明治維新は今までの江戸文化から離脱し、ヨーロッパをモデルに日本を改造するものでした。 その時代の役割を担った一人が夏目漱石です。彼は、当時最高の知識人で、政府の派遣でイギリスに留学し、東京大学で教鞭を取りました。政府は、漱石がイギリスの文化を学び、日本の文化近代化の推進役となることを期待していたのです。 しかし、夏目漱石はこの近代化に「皮相上滑り」的な側面を見ていました。1911年、和歌山で行なった講演、「現代日本の開化」でそれを指摘しています。漱石はその講演で、「日本は外発的開化、西洋は内発的開化」と分析し、明治維新以後の日本は、「一言にして言えば、皮相上滑りの開化、このままでは将来が心配、しかもこれが永久に続きそうだ」と危惧しています。漱石が言う西洋の「内発的開化」とは、「丁度花が咲くようにおのずからつぼみが破れ、花弁が外に向かって開く」ことです。これに対し、日本の「外発的開化」は、「外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取る」ことだと言うのです。 この講演は94年前のものですが、今の状況の説明にも立派に通用します。「外からおっかぶさった他の力」は、当時はヨーロッパを指していました。今はそれがアメリカに代わっただけです。そして、アメリカを真似た「皮相上滑りの開化」が幅を利かせ、漱石の予言どおり、「永久に続きそう」な様相も見られます。 2)日本の今の政治 最近の日本の政界を見ると、アメリカをモデルにしていると感じることが多々あります。小泉首相の政治手法がアメリカ大統領型と言われるのも、その一つです。閣僚の選任についても、形だけはアメリカ大統領が閣僚を選任する方式に近づいています。この結果、日本の特徴だった派閥の存在感が薄れました。今の内閣や自民党の3役に、派閥のリーダーが入っていないのを見ても、変化がわかります。閣僚が首相直属の部下になったと言ってもよいかもしれません。これは、アメリカの閣僚がセクレタリー(秘書)と呼ばれ、まるで大統領の秘書役のような位置づけなのと似ています。 おかげで、小泉首相は当然のことに強い力を持つことになりました。郵政民営化法案を党内の反対を押し切って推進し、否決されると衆議院を解散しました。行政府の長が立法府も動かしてしまう勢いです。アメリカ大統領もこんな力は持ってはいません。法案を通すため与党議員に党議拘束をかけることはできません。議会の党幹部が党議拘束をかける制度はありますが、最近はほとんど発動していません。まして、大統領が法案を通すためにそれを使うということはありません。また、大統領には議会を解散する権限もありません。 こうした最近の日本の状況を見ると、漱石が「我らは不自然な発展を余儀なくされる」と言った言葉がまた脳裡に浮かびます。我々は「開化のあらゆる段階を順々に踏んで通る余裕を持たないから、足の地面に触れるところは十尺のうち一尺くらい、九尺は通らない・・・地道に歩くのではなく、ぴょいぴょいと跳んでゆく」という言葉です。 小泉首相がアメリカ大統領型の政治手法を真似るのは、アメリカ発のグローバリゼーションの波に乗るためです。それも、あらゆる段階を順々に踏む余裕をもたないから、閣僚や党役員の選びかただけを真似たわけでしょう。これは、漱石の言う「地道に歩くのではなく、ぴょいぴょいと跳んでゆく」のと同じなのではないかと思えます。アメリカは、立法、行政、司法の三権がチェック・アンド・バランスをし合い、権力が一箇所に集中するのを防いでいます。大統領が議会を解散できないのは、そのためです。しかし、日本は、「皮相上滑り」で、ぴょいぴょいと大統領の政治手法だけ真似ます。チェック・アンド・バランスのシステムもないまま、首相の権限ばかりが強化され、暴走しなければよいのですが。 3)郵政民営化 郵便事業については、アメリカは1971年に公社化しました。アメリカが独立して、1789年に最初の連邦政府を組織したとき、閣僚はわずか5人でした。国務、国防、財務、司法、それに郵政長官です。郵政は、国防などと並ぶ国家の重要事業、もちろん国営でした。広いアメリカで、地域社会に情報をまんべんなく行き渡らせること、そのためのコミュニケーション網の構築が、民主主義社会の建設には不可欠だったのです。しかし、1900年代後半になると、赤字続きになり、独立採算制の公社に再編されました。赤字解消のため競争原理を取り入れ、効率化をはかったわけです。 日本の今の郵政民営化は赤字が原因ではありません。日本の郵便事業は、郵便だけでなく、貯金や簡易保険など、銀行や保険会社と同じ事業をかかえ、黒字です。つまり、郵便貯金、簡易保険が膨大な資金を民間から吸い上げ、民業を圧迫し、日本全体の競争力を奪っているというのが、改革の理由です。グローバリゼーションの時代、これでは日本全体の利益にならないというわけです。ただ、この民営化には反対も多いのは確かです。特に、地方では、競争力重視の民営化によって、地域への郵便サービスが低下するのではないかという不安があります。 4)欧米と日本社会の基本的な違い 日本はその成り立ちから、農耕社会であり、お互いを助け合う相互扶助社会でした。お米を作るために水を引き、各自の田に分配し、耕し、収穫までの作業を助け合ってきました。米という字は、収穫までに八十八回も手間をかけることを表していると言われたものです。採算が合わなくても、共同社会に必要なことはしなければならないという考え方です。越後の上杉謙信が海のない甲州の武田信玄に塩を贈ったことが美談として伝わっていますが、これは相互扶助の精神の尊さを強調したものです。採算に合わないことはしないという、欧米の競争社会の原理とは違います。 郵政民営化を額面どおり実施した場合、郵便局が地域社会ではたしている、この相互扶助の役割がなくなってしまわないのか、そんな不安があります。日本は地域によっては過疎化が進み、人口が減少しています。ローカル電車は本数が少なくなり、駅前商店街は歯が欠けるように店舗が撤退しています。同じ商店街の中にある郵便局も赤字経営なのは明らかですから、もし採算を問題にするなら存続できない、と地域の住民は心配します。もちろん、小泉首相もそんなことは十分知っているはずです。しかし、首相としては、民営化も進めなければならない。 夏目漱石は、日本の開化について「外から無理押しに押されて否応なしにその言うとおりにしなければ立ち行かないという有り様になった」、その結果の開化と言っています。それは、「一言にして言えば、皮相上滑りの開化」でもあると言っています。小泉首相の郵政民営化も、グローバリゼーションという外からの波に押され、言うとおりにしなければ立ち行かなくなった結果です。その結果、日本を低層で支えてきた相互扶助社会が動揺することになります。伝統的な相互扶助社会を置き去りにして、民営化という皮相の上滑りが起きないかという心配です。 5)東アジア圏と日本 考えてみると、明治維新以来の「皮相上滑りの開化」は、その後暴走して、アジア太平洋戦争へと突き進みました。開化の背後で、農村が疲弊し、暴走の一因になったことも忘れてはならないでしょう。西洋の動きばかり見て、開化を急ぎ、足元の地域社会に対する配慮を欠いたと言われても仕方ないでしょう。郵政民営化でも、それが問われていると思います。 今、日本は中国、韓国との関係が国交正常化以来の最悪状態にあるといわれています。これも、考えてみれば、明治維新以来の日本の「皮相上滑りの開化」が暴走したあとの後遺症が響いていると思います。南京大虐殺の有無、竹島の領有をめぐる争い、歴史教科書の既述の是非、いずれも明治以来の日本の国策の延長線上にあります。これが原因で、関係は最悪ですが、その一方で、中国、韓国とも「未来志向」で問題解決を目指すことで、日本と歩調が一致しているのも事実です。グローバリゼーションは日本に郵政民営化を迫っていますが、中国、韓国もそれぞれ国内に同様の状況を抱えています。それと取り組むために、各国とも未来にむけた協調が必要なのです。 世界銀行がまとめた日中韓三カ国のGDP(04年度)を見ますと、日本(4兆6200億ドル)、中国(1兆6500億ドル)、韓国(6800億ドル)で、合計すると、6兆9500億ドルになります。米(11兆6700億ドル)、EU(11兆6500億ドル)に規模は及びませんが、まもなく米やEUに引けを取らない東アジアの経済圏になるでしょう。日本はこの中でどのような役割をはたすべきなのか、今後問われる課題です。「皮相上滑り」ではない、地道な開化を目指すうえで、日本の役割は大きいと思います。 6)六カ国協議について 東アジアの今後を考えるとき、もう一つ考えなければならないのは、北朝鮮との関係をどう築くかということです。その関係構築の前提として、北朝鮮の核開発計画と人権問題の解決が今提起されています。日本は、核の脅威を受ける最大の当事者、また拉致問題という緊急に解決を要する人権問題の被害者の立場です。当面の対応は、六カ国協議で、交渉によって問題解決にあたるという方針で各国が合意しています。また、朝鮮半島を非核化するという目標でも、北朝鮮を含め協議参加国が合意しました。 しかし、これで問題がすべて解決するという見方はほとんどありません。朝鮮半島の非核化についても、アメリカと北朝鮮の考え方は大きく違います。アメリカは北朝鮮が核兵器と核開発計画をすべて廃棄すれば、朝鮮半島の非核化は実現すると考えていますが、北朝鮮は日本の米軍基地も含め、米の核の脅威をなくすことが非核化だと主張しています。また、拉致問題についても、北朝鮮は解決済みと主張し、米国に追従するだけの日本は六カ国協議に参加する資格はないとまで公言しています。 解決への見通しは明るいとは言えませんが、かと言って、経済制裁などの強硬手段に訴えることには、当面アメリカも応じない。まさに、日本のジレンマです。漱石は「開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だ・・・」と断じましたが、やはりそこに行き着くのでしょうか。
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