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 講演のレジュメ
 日本政治を漱石の視点からみれば
(2005年8月 都内婦人団体会合)

1)夏目漱石「内発的・外発的開化」

日本の近代化、明治維新は今までの江戸文化から離脱し、ヨーロッパをモデルに日本を改造するものでした。

その時代の役割を担った一人が夏目漱石です。彼は、当時最高の知識人で、政府の派遣でイギリスに留学し、東京大学で教鞭を取りました。政府は、漱石がイギリスの文化を学び、日本の文化近代化の推進役となることを期待していたのです。

しかし、夏目漱石はこの近代化に「皮相上滑り」的な側面を見ていました。1911年、和歌山で行なった講演、「現代日本の開化」でそれを指摘しています。漱石はその講演で、「日本は外発的開化、西洋は内発的開化」と分析し、明治維新以後の日本は、「一言にして言えば、皮相上滑りの開化、このままでは将来が心配、しかもこれが永久に続きそうだ」と危惧しています。漱石が言う西洋の「内発的開化」とは、「丁度花が咲くようにおのずからつぼみが破れ、花弁が外に向かって開く」ことです。これに対し、日本の「外発的開化」は、「外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取る」ことだと言うのです。

この講演は94年前のものですが、今の状況の説明にも立派に通用します。「外からおっかぶさった他の力」は、当時はヨーロッパを指していました。今はそれがアメリカに代わっただけです。そして、アメリカを真似た「皮相上滑りの開化」が幅を利かせ、漱石の予言どおり、「永久に続きそう」な様相も見られます。


2)日本の今の政治

最近の日本の政界を見ると、アメリカをモデルにしていると感じることが多々あります。小泉首相の政治手法がアメリカ大統領型と言われるのも、その一つです。閣僚の選任についても、形だけはアメリカ大統領が閣僚を選任する方式に近づいています。この結果、日本の特徴だった派閥の存在感が薄れました。今の内閣や自民党の3役に、派閥のリーダーが入っていないのを見ても、変化がわかります。閣僚が首相直属の部下になったと言ってもよいかもしれません。これは、アメリカの閣僚がセクレタリー(秘書)と呼ばれ、まるで大統領の秘書役のような位置づけなのと似ています。

おかげで、小泉首相は当然のことに強い力を持つことになりました。郵政民営化法案を党内の反対を押し切って推進し、否決されると衆議院を解散しました。行政府の長が立法府も動かしてしまう勢いです。アメリカ大統領もこんな力は持ってはいません。法案を通すため与党議員に党議拘束をかけることはできません。議会の党幹部が党議拘束をかける制度はありますが、最近はほとんど発動していません。まして、大統領が法案を通すためにそれを使うということはありません。また、大統領には議会を解散する権限もありません。

こうした最近の日本の状況を見ると、漱石が「我らは不自然な発展を余儀なくされる」と言った言葉がまた脳裡に浮かびます。我々は「開化のあらゆる段階を順々に踏んで通る余裕を持たないから、足の地面に触れるところは十尺のうち一尺くらい、九尺は通らない・・・地道に歩くのではなく、ぴょいぴょいと跳んでゆく」という言葉です。

小泉首相がアメリカ大統領型の政治手法を真似るのは、アメリカ発のグローバリゼーションの波に乗るためです。それも、あらゆる段階を順々に踏む余裕をもたないから、閣僚や党役員の選びかただけを真似たわけでしょう。これは、漱石の言う「地道に歩くのではなく、ぴょいぴょいと跳んでゆく」のと同じなのではないかと思えます。アメリカは、立法、行政、司法の三権がチェック・アンド・バランスをし合い、権力が一箇所に集中するのを防いでいます。大統領が議会を解散できないのは、そのためです。しかし、日本は、「皮相上滑り」で、ぴょいぴょいと大統領の政治手法だけ真似ます。チェック・アンド・バランスのシステムもないまま、首相の権限ばかりが強化され、暴走しなければよいのですが。


3)郵政民営化

郵便事業については、アメリカは1971年に公社化しました。アメリカが独立して、1789年に最初の連邦政府を組織したとき、閣僚はわずか5人でした。国務、国防、財務、司法、それに郵政長官です。郵政は、国防などと並ぶ国家の重要事業、もちろん国営でした。広いアメリカで、地域社会に情報をまんべんなく行き渡らせること、そのためのコミュニケーション網の構築が、民主主義社会の建設には不可欠だったのです。しかし、1900年代後半になると、赤字続きになり、独立採算制の公社に再編されました。赤字解消のため競争原理を取り入れ、効率化をはかったわけです。

日本の今の郵政民営化は赤字が原因ではありません。日本の郵便事業は、郵便だけでなく、貯金や簡易保険など、銀行や保険会社と同じ事業をかかえ、黒字です。つまり、郵便貯金、簡易保険が膨大な資金を民間から吸い上げ、民業を圧迫し、日本全体の競争力を奪っているというのが、改革の理由です。グローバリゼーションの時代、これでは日本全体の利益にならないというわけです。ただ、この民営化には反対も多いのは確かです。特に、地方では、競争力重視の民営化によって、地域への郵便サービスが低下するのではないかという不安があります。


4)欧米と日本社会の基本的な違い

日本はその成り立ちから、農耕社会であり、お互いを助け合う相互扶助社会でした。お米を作るために水を引き、各自の田に分配し、耕し、収穫までの作業を助け合ってきました。米という字は、収穫までに八十八回も手間をかけることを表していると言われたものです。採算が合わなくても、共同社会に必要なことはしなければならないという考え方です。越後の上杉謙信が海のない甲州の武田信玄に塩を贈ったことが美談として伝わっていますが、これは相互扶助の精神の尊さを強調したものです。採算に合わないことはしないという、欧米の競争社会の原理とは違います。

郵政民営化を額面どおり実施した場合、郵便局が地域社会ではたしている、この相互扶助の役割がなくなってしまわないのか、そんな不安があります。日本は地域によっては過疎化が進み、人口が減少しています。ローカル電車は本数が少なくなり、駅前商店街は歯が欠けるように店舗が撤退しています。同じ商店街の中にある郵便局も赤字経営なのは明らかですから、もし採算を問題にするなら存続できない、と地域の住民は心配します。もちろん、小泉首相もそんなことは十分知っているはずです。しかし、首相としては、民営化も進めなければならない。

夏目漱石は、日本の開化について「外から無理押しに押されて否応なしにその言うとおりにしなければ立ち行かないという有り様になった」、その結果の開化と言っています。それは、「一言にして言えば、皮相上滑りの開化」でもあると言っています。小泉首相の郵政民営化も、グローバリゼーションという外からの波に押され、言うとおりにしなければ立ち行かなくなった結果です。その結果、日本を低層で支えてきた相互扶助社会が動揺することになります。伝統的な相互扶助社会を置き去りにして、民営化という皮相の上滑りが起きないかという心配です。


5)東アジア圏と日本

考えてみると、明治維新以来の「皮相上滑りの開化」は、その後暴走して、アジア太平洋戦争へと突き進みました。開化の背後で、農村が疲弊し、暴走の一因になったことも忘れてはならないでしょう。西洋の動きばかり見て、開化を急ぎ、足元の地域社会に対する配慮を欠いたと言われても仕方ないでしょう。郵政民営化でも、それが問われていると思います。

今、日本は中国、韓国との関係が国交正常化以来の最悪状態にあるといわれています。これも、考えてみれば、明治維新以来の日本の「皮相上滑りの開化」が暴走したあとの後遺症が響いていると思います。南京大虐殺の有無、竹島の領有をめぐる争い、歴史教科書の既述の是非、いずれも明治以来の日本の国策の延長線上にあります。これが原因で、関係は最悪ですが、その一方で、中国、韓国とも「未来志向」で問題解決を目指すことで、日本と歩調が一致しているのも事実です。グローバリゼーションは日本に郵政民営化を迫っていますが、中国、韓国もそれぞれ国内に同様の状況を抱えています。それと取り組むために、各国とも未来にむけた協調が必要なのです。

世界銀行がまとめた日中韓三カ国のGDP(04年度)を見ますと、日本(4兆6200億ドル)、中国(1兆6500億ドル)、韓国(6800億ドル)で、合計すると、6兆9500億ドルになります。米(11兆6700億ドル)、EU(11兆6500億ドル)に規模は及びませんが、まもなく米やEUに引けを取らない東アジアの経済圏になるでしょう。日本はこの中でどのような役割をはたすべきなのか、今後問われる課題です。「皮相上滑り」ではない、地道な開化を目指すうえで、日本の役割は大きいと思います。


6)六カ国協議について

東アジアの今後を考えるとき、もう一つ考えなければならないのは、北朝鮮との関係をどう築くかということです。その関係構築の前提として、北朝鮮の核開発計画と人権問題の解決が今提起されています。日本は、核の脅威を受ける最大の当事者、また拉致問題という緊急に解決を要する人権問題の被害者の立場です。当面の対応は、六カ国協議で、交渉によって問題解決にあたるという方針で各国が合意しています。また、朝鮮半島を非核化するという目標でも、北朝鮮を含め協議参加国が合意しました。

しかし、これで問題がすべて解決するという見方はほとんどありません。朝鮮半島の非核化についても、アメリカと北朝鮮の考え方は大きく違います。アメリカは北朝鮮が核兵器と核開発計画をすべて廃棄すれば、朝鮮半島の非核化は実現すると考えていますが、北朝鮮は日本の米軍基地も含め、米の核の脅威をなくすことが非核化だと主張しています。また、拉致問題についても、北朝鮮は解決済みと主張し、米国に追従するだけの日本は六カ国協議に参加する資格はないとまで公言しています。

解決への見通しは明るいとは言えませんが、かと言って、経済制裁などの強硬手段に訴えることには、当面アメリカも応じない。まさに、日本のジレンマです。漱石は「開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だ・・・」と断じましたが、やはりそこに行き着くのでしょうか。


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 講演のレジュメ
 世界と日本、憲法論議と夏目漱石の日本開花論
(2004年8月 独立行政法人 教員研修センター)

1)日本の常識は、世界の非常識か

日本と世界というと、すぐ日本の常識は世界の非常識という言葉を連想する。 高知競馬のハルウララもそれを連想する1つ。
米CBSニュースが4月16日におもしろおかしく紹介したが、アメリカ人には、理解できないというトーンだった。
日本の受け取り方は、勝敗の結果ではない、負けるが、懸命に走る何かが、日本人の心をくすぐる、これは日本人の心筋をなでる。

しかし、アメリカ人には理解できない。
米国流では、同馬は競争の敗者、この馬券を買う日本人は理解できない。負けると分かっているのに何故馬券を買うのか。

出走馬が全頭ハルウララなら競馬にならない、米国流思考にも一理がある。
この例では、日本の常識は、世界の非常識。
しかし、ハルウララをアイドルとする日本人の思考様式は貴重、これは、アメリカ式 競争社会には存在できない。秋には引退するというが、惜しい。

日本には、こういう物がまだ幾つもある。
日本でよくある包丁強盗、米ではあり得ない。包丁ではピストルに敵わない。
しかし、日本では、包丁強盗が通用する、これもある意味で貴重なこと。
これは、水戸黄門の印籠に共通するものがある。
印籠で物が切れるわけでもないが、当時の日本人から見ると、生殺与奪の権力を持つ 徳川幕府の権威が付加されている。

ハルウララ、包丁も同じ、アメリカ人には、この付加された価値がわからない。
この大切さ、これはハルウララがはやされる日本のおおらかさに共通する、これを失 なうことは惜しい。

しかし、今の構造改革最優先の成り行きではハルウララも、包丁強盗もなくなる。 そして、競争に強い馬だけが人気を集め、包丁ではなく、ピストル強盗が幅を利かす、 世界の常識がいずれ日本を支配するようになってくる。


2)憲法論議は世界の非常識の典型か

もう一つ、世界の非常識で思い出すのが、憲法論議。
日本の常識、世界の非常識と云われ出したのは、憲法論議に関連している。この議論を経て、来年中には、議会に自民、民主両党の改憲案が提出される。

日本にはこれまで3つの流れがあった。
1、護憲派、2、改憲派、3、政府による解釈改憲。
護憲派の平和論、改憲派の普通の国家論、それに解釈改憲派が入り乱れて神学論争を展開。そして、常識、非常識論が飛び交った。
当然、それを展開する憲法学者にも批判が交錯した。
このためか、憲法学者と言われてきた学者の中には、最近憲法研究者と肩書きを変えた人もいる。
政府も改憲解釈が限界と主張、流れはいずれにせよ、改憲の方向に向かってきた。

しかし、今日の講演の趣旨は、憲法改正そのものではない。
改正問題の背景にある、世界の常識ということを持ち出して変化を迫る、このやり方を取り上げる。
世界の常識はこうだ、と断定して、日本を世界の常識に合わせようとする。
この世界の常識論も怪しいところがある、日本にあまり知られていないのをよいことに、自分たちの都合のよいように引用する、手前味噌のものもある。

例えば、護憲派がよく取り上げるコスタリカの平和憲法。
コスタリカは49年、憲法で陸軍を解散、非常の際は再組織、米州機構の決定で必要な場合も再組織などと決めた。これを、護憲派は日本と同じ平和憲法と称賛、実は、教科書にも載っている。しかし、中米には、パナマ、最近はハイチなど軍隊を持たない国は他にもある。人口3−400万の小国、アメリカの影響下にあって、安全保障で独自の動きは不可能。アメリカに頼るほうがはるかに安上がり。それどころか、軍隊を持つと、軍人が必ずクーデターを起こして、政府を倒す、そこで陸軍をもたない。 この状況を日本と比較するのは無理。

手前味噌のもう1つの例。
これは、解釈改憲を世界の非常識として糾弾するもの。
実は、この解釈改憲をしている例はいっぱいある、いわば世界では常識の面もある。

例えば、イギリス。
マグナカルタの拡大解釈、これは解釈改憲の好例。
イギリスには、他の諸国のような成文憲法はない。1215年のマグナカルタ、1689年の権利の章典など、過去の歴史的な法典、伝統的慣行などが憲法の役割を果たしている。従って、マグナカルタ(大憲章)などは、解釈改憲のような解釈上の大幅な変更を当然うける。

元々は、ジョン王に対して、一般評議会に集まった貴族たちが、課税、裁判などの要求 をまとめ、ジョン王を署名に追い込んだもの。イギリスはこれを法治主義の原則と解釈、 今も使う。

日本はこの頃、鎌倉時代で北條氏が実権を確立、御家人の揉め事を裁いた御成敗式目(1 232年)を制定。この御成敗式目を今も使っているのと同じ。大幅な拡大解釈、ある いは変更をするのは当然
それともう1つ、イギリス人にとって、マグナカルタには、水戸黄門の印籠に付いてい るのと同じような権威がある。しかし、外国人には単なる古文書でしかない。

米国でも、憲法の原文は変えず、解釈を変える。
例えば、言論の自由、米憲法は1791年、権利章典の第一章で、スピーチ(演説)とプレス(新聞・出版物)、アセンブリー(集会)の自由を規制する法律を作ってはならないと決めた。
その後、社会が変わり、マスコミは新聞・出版だけでなく、テレビ、ラジオ、さまざまなメディアができるが、それらをすべてプレスの中に入れて解釈する。昔は、プレスは印刷するメディアだけを指したが、これを拡大解釈している。
(私もテレビ記者だったが、ホワイトハウスでは、プレス・クラブに入った)

日本には、このような大胆な解釈改憲は発想できない。今日は、この問題、なぜ日本人には、この発想がないのかと取り上げる。

日本にとって、憲法などはもともと外国からの借り物、欧米人のように、自分で作り出したものでない、そこに問題がある。米英人は、マグナカルタも、権利の章典も自分たちが作ったものだから、その趣旨にそって新しい解釈をする、しかし、日本人は憲法など元々自分で作ったものではないのでそうはいかない。

これはかつて、夏目漱石が指摘した日本文化と西洋文化の特徴、外発的文化と内発的文 化にかかわることではないか、というのが、私が取り上げたい今日のもう1つのテーマ。

漱石は、「日本を支配しているのは、西洋の潮流で、日本人はその新しい波が寄せる度 に自分がその中で居候して、気兼ねしているような気分になる」と言っている。居候で ですから、座布団一つ動かすにも、どうするべきか、気兼ねする。


3)夏目漱石が予言した日本の外発的文化の運命

夏目漱石は1911年(明治44年)和歌山で、「現代日本の開化」という題で講演して、日本文化は外発的、西洋文化は内発的と分析、明治維新以後の日本文化は「皮相うわすべりの文化、このままでは将来が心配、しかもこれが永久に続きそうだ」と嘆く、実はその将来が今、つまり漱石が嘆いたとおりになっていると言えるのではないか、というのが、私の言いたいことです。

夏目漱石は何を言ったか。
西洋文化の特徴、内発文化とは、内から自然に出て発展するという意味、漱石は内発的とは「丁度花が咲くようにおのずからつぼみが破れ、花弁が外に向かって開く」と表現している。
一方、日本文化の特徴、外発文化とは、「外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取ること」を言うと形容。
外発的文化の基点は明治維新
漱石は「日本文化は、中国、朝鮮半島にかぶれたこともあったが、比較的内発的に進んできた。それが、明治の時から突然曲折し始めた。急に自己本位の力を失って、押され押されて持ちこたえることもできず、しかも、今後何年の間、これが続くのか、恐らく永久に押されて行かなければ、日本が日本として存在できないのだから仕方がない」。

漱石がこの講演をしてから93年、この予言、日本がアメリカの有形無形の圧力で推さ れ押されて持ちこたえられない、現在の状況を言い当てている。
しかも、「永久に押されて行かなければ、日本が日本として存在できない」とまで言い 切っている。

しかも、こうして取り入れた外発的文化も、日本が完全に消化したものではない。
漱石は「我々が10の程度に開化を漕ぎ着けた折も折、図らざる天の一方から20、30の複雑のさらに進んだ開化が現れて、我々に打ってかかった。今の我々は、地道に野そりのそりと歩くのではない、開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕もないから、10尺のうち、わずか1尺を通って進む。一言で言えば、開化は内発でなければ、ウソだと申し上げたい」。 日本はウソの開化を続けてきた。本当は10尺通って進むべきところを、わずか1尺で進む。これはウソだという。
漱石はまた、
「日本の現代の開化を支配している波は、西洋の潮流で、日本人は西洋人ではないのだから、新しい波が寄せるたびに、自分がその中で居候して気兼ねしている気分になる。」
「しかも、新しい波がくると、それまでの古い波の特質や真相もわきまえぬまま、もう捨てなければならなくなる。この影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。それを、あたかも開化が内発ででもあるかのような顔をして得意でいる人もいる。軽薄だ。」

最後に結論のように言う。
「現代日本の文化は皮相上滑りの文化である。しかも、事実やむを得ない、涙をのんで上滑りに滑っていかなければならない。神経衰弱にならない程度に、内発的に変化して行くがよかろうというような体裁のよいことを言うより外に仕方がない。」

夏目漱石は1911年、この指摘をした。当時、日本は日露戦争に勝利、韓国を併合、一等国になったと意気高揚していた。そのとき、明治維新に対し痛烈な批判をした。漱石は1900年、政府命令で2年の英国留学、帰国して明治の文明開化を担うことになる。つまり、西洋の波を日本に導入する当事者だった。しかし、「それが上滑りで、外発的」だと落胆した。
明治の文明開化と言えば、その中には、明治憲法、教育勅語もある。
漱石が1907年(明治40年)東大教授を辞職し、当時、職業としては東大教授よりはるかに下にみられていた朝日新聞に行くのは、この不満があったからだろう。自分がたずさわっていることが、「皮相上滑りの文化」を日本につくることだと知って身を退いたのだと思う。

初期の代表作「坊ちゃん」で、学問のない下女の清の気立ての良さを褒めちぎり、当時の近代女性のマドンナをけなすのは、マドンナを皮相上滑り文化のシンボルと見立ててのことだ。しかも、開花によって、マドンナはますますちやほやされ、清の気立ての良さが消え去る運命にあることを嘆いている。

しかし、漱石はこの流れに棹差すことはできない。ただ、「涙をのんで上滑りに滑っていかなければならない。そして、日本は永久に押されて行かなければ、日本は日本として存在できないのだから仕方がない」と言っている。今の日本の姿、そのままのところがある。ただし、今の日本に、漱石のように上滑りの状況を自覚し、涙をのんで滑っている人がいるのかどうか疑問もあるが。

漱石はでは、今の日本の憲法改正の動きをどう見るか。
実は、講演で「新しい波が(きたために)とにかく、今しがたようやくの思いで脱却した古い波の特質やら、真相やらもわきまえる暇もない内に、もう捨てなければならなくなってしまった。こういう開化の影響を受ける人間はどこか空虚に感がなければなりません。それをあたかも、この開化か内発的であるかのような顔をして、得意である人のあるのはよろしくない。虚偽であり、軽薄である」とも言っている。

今の日本の憲法改正論議をこれに当てはめて考察すれば、「古い波の特質やら、真相やらもわきまえる暇もない内に、もう捨てなければならなくなってしまった」ということにならないか。それでも、「どこか空虚な感が」あればよいが、「あたかも・・・内発的であるかのような顔をして、得意である人のあるのはよろしくない」ということになるだろう。


4)では、どうするべきか。

漱石は、この講演の結びで、「では、どうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、私には名案も何もない。ただ、できるだけ神経衰弱にかからない程度において、内発的に変化していくのがよかろう、というような体裁の好いことを言う外に仕方がない」と言っている。極めて悲観的、かつ消極的だ。

この消極的な姿勢に、漱石の深い苦悩をみるべきだろう。日本が内発的になるというこ とが如何に困難なことか、今でも日本はそれで苦闘中だ。漱石がこの指摘をしてから9 3年日本も内発的になるために実は努力をしなかったわけではない。しかし、外発文 化のあれこれを取り上げ、これが世界の常識といって日本に紹介する例が今も圧倒的に 多いのも事実だ。

実は私も、ある意味では、外国の動きを紹介し、日本の外発的開化に一役買うような 仕事をしてきた。毎日、国際ニュース、特に欧米のニュースを伝えて、これが世界の常識と言ってきたようなところがあった。憲法改正論議がこれから盛り上がってくるだろうが、もし漱石がそれをみたら如何なる感想をもつだろうか。私の見るところでは、93年前の自分の指摘のとおりの状況がまだ続いていると知って、がっかりするのではないかと思う。

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 講演のレジュメ
 北朝鮮の核危機と東アジアの安全保障
「核開発と拉致事件が日本および東アジアの安保態勢に及ぼした影響」

(2003年12月 東洋学園大学公開講座)

1)北朝鮮の核開発、拉致確認と日本の安保意識の転換

安全保障、日本の動き
 
02年09月17日 北朝鮮拉致確認

  12月04日 テロ対策特別措置法 イージス艦のインド洋派遣
    
03年03月28日 情報収集衛星2個打ち上げ

03年06月06日 有事関連法 1.武力攻撃事態法
                          2.自衛隊改正法
                          3.安全保障会議設置法
                          
  07月26日 イラク復興特別措置法 陸上自衛隊派遣へ
    
  08月   朝鮮半島周辺のロシア艦隊合同演習
       日本の最新鋭潜水艦参加
              
  11月29日 情報衛星2個追加打ち上げ失敗
    
  11月   ミサイル防衛予算(04年度)
              海上発射型配備内定 1、423億円

03年08月14日 防衛大学 西原正校長の核武装論議
       (ワシントン・ポスト 03年08月14日)
       「米国が北朝鮮と不可侵条約を結べば、日米安保条約と矛盾する。
        北朝鮮が核放棄しても、生物化学兵器がある。万一の場合、在日
        米軍は日本を守れないことになる。日本は米国に依存できなくなり、
        報復のための核開発を決定するかもしれない」
               
05年度    国会憲法問題調査会の結論
       自民党憲法調査会改正案をまとめる

 拉致確認(02・9・17)と核開発肯定(10・3)のあと、日本が実施した防衛努力は次の通り
・イージス艦インド洋派遣、
・情報収集衛星2個打ち上げ
・有事関連法成立
・イラク復興特別措置法(自衛隊イラク派遣)
・朝鮮半島周辺ロシア艦隊合同演習に日本の最新鋭潜水艦登場
・ミサイル防衛配備決定
 
「説明」
 従来、これらの安保関連活動は容易に実施できなかった。
・イージス艦は国内の憲法論争、中国、韓国の反対があり、政府は01年11月インド洋自衛艦隊派遣と同時派遣を計画したが、実施できなかったもの。
・有事関連立法も1年前議会で継続審議になっていた。
・日本潜水艦が外国の合同演習海域に出現するのは初めて、日本の現有17隻。
・ミサイル防衛、米国と共同研究中だが、政府は研究段階から踏み出せなかった。

ミサイル防衛民主党も容認
民主党の管代表は3月24日、外国人特派員協会で「わが国が開発にかかわることを検討する余地がある」と容認した。

この安保関連活動の急進展と並行して核開発、憲法改正論議もある。
(防衛大学の西原正校長、ワシントン・ポストへ論文寄稿、日本の核開発の可能性に言及して、
米の北朝鮮政策を牽制)
現在の動きは、05年の憲法調査会の最終答申と自民党憲法調査会の最終案提出がゴールになる。

「追加分析」内外の反響
(イラク派兵)一連の動きのうち、北朝鮮を対象にした自主防衛強化には世論の支持があった。しかし、自衛隊イラク派遣は対米協調が主要な理由、世論は不満で政府批判が強まった。
(中国、韓国の視線に客観的視点が増える)
 8月中旬、ロシアが極東海域で軍事訓練、各国潜水艦が参集して観察。
 日本の潜水艦もこれに参加、その様子を中国の人民日報の系列新聞、環球時報が報道、これを朝鮮日報も引用。
 「日本は潜水艦17隻を保有、世界5位、最も活発だった」と報道、同時に
 「対馬海峡で今秋、日米韓国3国の北朝鮮潜水艦阻止に合同軍事演習」などと自陣営の動きとしても報道。

 日本のイラク派兵も、初めての戦闘部隊海外派遣、韓国紙は重装備を伝え、同時に派遣に伴う日韓共通の政治的ジレンマも伝えている。


2)日本の世論転換の背景

 核危機と拉致確認で
 戦後日本の反安保世論が壊滅的打撃、自主防衛強化路線が支持を拡大。
 北朝鮮に同情的世論も壊滅。

 
プルトニウム核計画      拉致事件           日本の動きと報道
65年 研究用原子炉建設
67年 東海岸にゲリラ展開                    美濃部都政スタート
68年 韓国大統領官邸襲撃事件                  大阪に黒田革新知事
73年 金大中氏拉致事件
74年 朴大統領襲撃事件     日本人拉致事件頻発
                77年 横田めぐみさん
                78年 曽我ひとみさん
                                81年 産経新聞特集
                83年 有本恵子さん       85年 週間朝日特集
88年 参院梶山国家公安委員長
    答弁「拉致の疑い濃厚」  
                                日本の世論両極化
                89年 有本恵子さんの手紙届く  89年 管直人、土井たか子、
                                韓国で死刑判決を受けた拉致
                                犯人の助命嘆願書に署名
                                                                
                                97年 横田めぐみさん目撃情報
                                    家族の会結成


01年12月22日 不審船撃沈(確定不審船21隻) 02年09月17日 小泉首相訪朝   13人の拉致確認        日本の拉致否定世論壊滅 02年10月03日 ケリー訪朝    北朝鮮核開発認める       日本の防衛力強化始まる
 

「説明」
・北朝鮮の核開発、拉致は対南工作の基本戦略。
 核開発に先鞭をつけた李升基氏は、京都大学卒業、帰国してソウル大学工学部長、しかし、1950年朝鮮戦争直前、拉致されて北の核開発を主導。
 56年からは、モスクワの研究所に研究員を派遣。
 68年、金日成主席が核開発推進の特別指示。

・韓国への工作員侵入、韓国の警備体制未整備の60年代は38度線、東海岸から侵入。
69年韓国大統領官邸襲撃事件で、31人の特殊部隊が官邸2キロに迫る、同時にゲリラ部隊が東海岸から大量に上陸。
・74年の朴大統領襲撃事件頃から侵入経路に変化、日本が工作活動の基地化。
 在日韓国人文世光、日本のパスポート、日本の警察のピストル使用、朝鮮総連が訓練日本での工作員の活動も自供、その後も拉致事件の原点。
・同時の拉致事件が連続発生。
 最初の拉致は77年9月の久米裕氏、石川県能都町、警察は容疑者逮捕、乱数票など証拠押収、しかし釈放、日本側に重大事件の認識なし。
・当時の日本は革新都政がもてはやされ、韓国は朴政権の独裁、金大中事件で批判の的  美濃部知事が朝鮮総連を外交機関扱いし、固定資産税免除を当然視。
・田中角栄政権も、韓国が要求した朝鮮総連の工作活動の調査と非合法化を拒否。
・新聞、テレビも韓国批判、拉致報道は81年産経、85年週間朝日などわずか。
・有本恵子さんの手紙で、母嘉代子さんが外務省、政党を回るが無視される。
・政府は梶山官房長官発言で初めて拉致の可能性を認める、しかし、管直人、土井の両野党幹部は拉致実行犯、辛光洙死刑囚の助命嘆願を韓国政府に提出。

「分析」
日本は海岸線が無防備、国内での工作員の暗躍という安全保障の落とし穴に気付かなかった。平和憲法で平和を保てという革新陣営、進歩的知識人の主張が世論を支配。
政府は保守・革新の対立に足をとられて無策。

転機の前兆は
 ・97年の横田めぐみさんの消息伝達。
 ・98年のテポドン発射実験。
 ・01年の不審船の撃沈事件。


北朝鮮の核、ミサイル開発
 
核兵器開発                日本の関心事
 65年 研究用原子炉建設
 85年 核拡散防止条約加盟        87年 大韓航空機爆破事件
 93年 同条約脱退表明、第一次核危機
 (核弾頭1−2個分のプルトニウム抽出) 93年 ノドン発射実験
 94年 米朝枠組み合意 
    核開発凍結約束
 95年 ウラニウム核計画開始
 97年 パキスタンの核技術導入      98年 テポドンU発射実験
 02年 ケリー次官補に核開発確認
 03年1月 核拡散防止条約脱退
 (核弾頭6−8個分のプルトニウム抽出の疑惑)


・生物・化学兵器 保有は確実、数量不明
・ミサイル スカッド 射程300−550キロ
      ノドン  射程1300キロ(日本全土が射程内)
      テポドン1 射程1500キロ−
      テポドン2 射程3500−6000キロ
      テポドン3 射程8000−


・核開発が兵器化の段階に突入、同時にミサイル開発、日本攻撃の可能性も判明。
 (拉致は対南工作、核とミサイルは日本直接攻撃戦略)
・現在、ノドン・ミサイルは200基、核弾頭は7−10個保有の可能性。
・そのほか、生物・化学兵器の保有。

「分析」
日本の世論は、直接攻撃の可能性を知って、政府の防衛努力強化容認に変化、政府と世論の足並みが初めて揃い、万景峰号などにも厳しい監視の眼が向いた。
石原都知事は朝総連に外交使節扱いを取り消し、課税。
管代表も拉致犯人の死刑囚助命嘆願の立場からミサイル防衛支持にまわった。


3)今後の課題
 日本は次のような3課題を抱えている。
 1、核開発問題   2、拉致解決  3、国交交渉
 解決のための窓口は1つ、6カ国協議だけ。


6カ国協議 米朝の主張
 
米   「検証可能、不可逆的、かつ完全な核開発廃棄」
北朝鮮 「同時行動原則」に基づく「一括妥結方式」

「一括妥結方式」
米側の行動 米朝不可侵条約締結    北朝鮮の行動 核兵器を作らず、査察を容認
      米朝外交関係樹立            核施設を究極的に解体
      日朝、南北の経済協力許容        ミサイル試射留保、輸出中止
      軽水炉完工、損失の補償

「同時行動原則」
1 米が重油供給再開、食料支援拡大。同時に北朝鮮は核計画放棄を宣言。
2 米が不可侵条約締結、電力損失補償。同時に北朝鮮は核施設、核物質を凍結、査察許容。
3 米朝、日朝外交関係樹立。同時に北朝鮮はミサイル問題を解決。
4 軽水炉完工。同時に北朝鮮は核施設解体。


・6カ国協議の課題
 ブッシュ政権の立場 「検証可能、不可逆的、完全な開発廃棄」
 北朝鮮の基本戦略  「一括妥結方式」と「同時行動原則」


「分析」
名称は6カ国協議だが、実質は米ブッシュ政権と金正日政権の交渉、中国を介して双方が主張を出したが、原則論で対立、交渉解決の見通し立たず。

第一の問題点、基本原則の対立
 ブッシュ政権の前提
 ・94年の枠組み合意で、北朝鮮は核凍結を約束したが破った、破った行為に褒美をやれないというのが前提、まず核計画廃棄が先と主張。
 ・これに対して、北朝鮮は懸案を一つずつ解決、最後に核開発廃棄と主張。

第二の問題点
 ブッシュ政権内と米議会の強硬論
 ・ブッシュ政権の交渉姿勢に対して、国内強硬派は金正日政権の延命に繋がると不満、増して決着して経済的恩恵を与えることなど問題外との姿勢。
 ・米議会は強硬派提出の北朝鮮自由化法案審議中、民主政権による統一支援の項目があり、金正日政権支援に制約が出る。

第三の問題点
 ・核兵器の数の確認が困難、米国内強硬派は金正日政権を信用せず、完全廃棄の確認が難しいと主張、この主張が続けば交渉は完結しない可能性もある。

・拉致問題の解決と6カ国協議
 拉致問題は本来日朝間の問題だが、現在は核問題とからめ6カ国協議の窓口で扱うことになった。この結果、核問題が進展しないと、拉致問題の解決が遅れかねない。このため、拉致問題は別枠で扱うことも今後あり得る。

・日朝国交正常化交渉と6カ国協議
 国交正常化も6カ国協議の進展如何に左右される。国交が正常化すれば、日本は経済協力(100−400億ドルという膨大な数字が出ている)をする。そのためには、核、拉致双方の解決が不可欠。核、拉致解決が長引けば、国交正常化はない。


「終わりに」
過去1年、日本の防衛努力は大きく進展したが、かつて予想されたような中国、韓国の反発はなかった。これは、北朝鮮の核開発露見を契機に、両国の対日観に変化が起きていることを示している。特に、中国の姿勢を注目しなければならない。中国は南では、宿敵インドと協調姿勢を取り、チベット、シッキム問題の解決を模索。東南アジアでは、10月、中国、インドが揃ってASEAN友好協力条約に加盟した。また、北のロシア、中央アジア諸国とは上海協力機構の協力態勢を樹立。東北アジアでも、米国と協力して6カ国協議を主導している。その一方で、日本が防衛力強化を進め、イージス艦派遣、自衛隊戦闘部隊のイラク派遣、ミサイル防衛導入に踏み切っても沈黙している。この沈黙の意味を解するには、もう少し時間が必要だ。

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 講演のレジュメ
 北朝鮮の核開発と日本の安全保障
「北朝鮮の核危機と拉致事件の表面化が日本の安全保障の方向を変えた」

(2003年8月 深谷市教育講演会)

1)この1年、日本の変化
国内面では、有事関連法成立 憲法改正論議、核武装論議も登場
対外的には、自衛隊派遣の拡大
防衛力整備、偵察衛星打ち上げ ミサイル防衛配備推進

転換点は02年秋の拉致事件と核危機の表面化
去年9月小泉訪朝、拉致事件の事実確認(でっち上げ論の敗退)
10月ケリー次官補訪朝、北朝鮮が核開発継続判明(協調派の後退)

2)北朝鮮にとっての核開発と拉致事件
北朝鮮の安全保障戦略の2大支柱
核兵器(1975年のベトナム統一、米中接近以後、北朝鮮の安全保障の柱として推進)
拉致事件(対南工作、70年代から)

核兵器開発
1970年代、南北が核開発開始、韓国は朴政権の終焉で中止 北朝鮮はソ連の黒鉛炉で継続
1983−4、第一次核危機 枠組み合意の成立(ウラニウム核兵器開発を中断)
2002,10月、第二次核危機 枠組み合意締結後、ウラン濃縮型核開発推進、これが発覚
ミサイルも同時開発、攻撃対象は、当初は韓国、その後日本、米西海岸も射程に入る
95年ノドン実験、98年テポドン実験

拉致戦略
1960年代、韓国に直接侵入して工作
1970年代後半、日本経由
1980年代、ヨーロッパから日本人旅行者拉致
拉致の目的は、当初は対南工作の「背乗り」作戦、その後日本赤軍の日本革命の基地作りも加わる
最近は偽札使い、資金作りにも利用

3)日本の安全保障意識の変化
・冷戦終結(1990)
 共産圏に対するタブーの消滅、マスメディアが北朝鮮を客観的に判断
 その結果、朝鮮戦争北進原因説消滅、拉致疑惑の拡大など世論に変化

・小泉訪朝(2002)
 北朝鮮が拉致を認める 北朝鮮協調派の敗退

・核危機の再発(2002)
 日本が攻撃対象の認識拡大
 ノドン200基配備、核小型化、生物、化学兵器などの脅威認識拡大
 麻薬密輸、偽札、不審船などに関心広がる

「日本の国内政策、対外政策を変化」
対外政策
 アフガニスタン攻撃に自衛隊の支援、イラク攻撃を支持、支援法成立
 小泉首相発言「北朝鮮有事に米の支援は不可欠」

国内政策
 有事関連法、憲法改正の動き
 偵察衛星、ミサイル防衛配備内定、核武装論議
 (防衛大学の西原正校長の核言及、W.P.8月14日 米朝が不可侵条約を締結した場合、日本は万一の場合も米に依存できなくなり、核開発を決定するかもしれない)

4)国際情勢との整合性
日本国内には核廃絶の主張も根強い
 広島秋葉市長の言葉、「核拡散防止条約は崩壊の瀬戸際、主要な原因は米の核政策」
 ブッシュ政権の使える小型核、先制攻撃批判

米ブッシュ政権の二重基準批判、北朝鮮、イラン、イラクの核開発と自国の開発を区別

国際政治の今後をめぐる2つの動き
1、ブッシュ政権 超大国米主導の世界新秩序を目指す
 米英主導のイラク攻撃

2、仏独ロシアは国連主導を目指す
これまでに築いた国連、国際法、国際秩序に基づく国際秩序を重視

3、日本 小泉政権は1を選択、従来の国連中心主義と決別か

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 講演のレジュメ
 米ブッシュ政権を支えるネオ・コン人脈の系譜
(2003年7月 NHK社会番組担当OBの会)

1)現在のネオ・コンの人脈
1997・6・3結成の Project for The New American Century
このシンク・タンクを中止に活動するグループ

・結成時の宣言に署名した中心メンバー
エリオット・エイブラムス、チェイニー、ジェブ・ブッシュ、フォーブス、フランシス・フクヤマ、ドナルド・ケーガン、ダン・クエイル、ラムズフェルド、ウオルフォビッツなど25名

・ブッシュ政権幹部として活躍する主要メンバー
ホワイトハウス:エイブラムス国家安全保障委員会部長(中東担当)、チェイニー副大統領、ルイス・リビー副大統領補佐官
国務省:ジョン・ボルトン大量破壊兵器担当次官
国防総省:ラムズフェルド長官、ウオルフォビッツフ長官代理、ファイス政策担当次官、パール国防諮問委員
ジャーナリズム、学会:ロバート・ケーガン、ウイリアム・クリストル

2)ネオ・コンサーバティブ(ネオ・コン)の呼称の由来
ベトナム戦争時代、リベラル派の反戦グループが同派内に出現した政府寄りの分派に対しつけた呼称。主流派から見れば政府寄りの分派はコンサーバティブ、つまり保守だった。
   この分派グループは民主党の反共強硬派ジャクソン上院議員の政策スタッフが多かった。エイブラムス、ウオルフォビッツ、ファイス、パールなども70年代ジャクソン議員のスタッフとして政策立案を勉強、当時の政策の焦点は第二次戦略兵器制限交渉で、ジャクソン議員は反対の急先鋒。
   同時に彼らは、キッシンジャーのデタント反対、ソ連に貿易上の最恵国待遇を与えることを厳しく制限する「ジャクソン・バニク法」制定を推進。
   その後、レーガン政権が誕生すると国務省、国防総省に入って同政権を支え、レーガンがソ連を「悪の帝国」と決め付ける理論付けをする。

3)ネオ・コンのシンク・タンク結成の目的
結成時に出したStatement of Principles(1997・6・3)
クリントンの混乱した政策と保守派の孤立主義的主張の双方を排除する。政策の目標を米国が過去積み上げた前例のない超大国の実績の上に新世紀を築くことに置く。米国の原則、価値観、国益を擁護し、そのためのグローバル・リーダーシップを確保する。
 この実現のために次の4大目標を設定
1、 軍事力の強化し、グローバル・リーダーシップを確立する
2、 同盟国との関係強化、米国の価値と利益に反する体制に挑戦する
3、 海外に政治、経済の自由を拡大する
4、 米国の安全、繁栄、米国の価値観と両立する国際秩序を確立するため米国のユニークな役割を遂行する

4)ブッシュ政権との結びつき
 2000年の大統領選挙時、グループは最初共和党保守派のマケイン上院議員を候補として担ぐ。しかし、彼は予備選でブッシュに敗北、そこでグループはブッシュに頭を換える。
ブッシュは予備選では外交手法として,Humble Approach を唱え、穏健な面が見られたが、グループと結合、チェイニーを副大統領に据えて一変。就任後は政権の要所にネオ・コン人脈を配置、次々とネオ・コンの方針を政策化、実行してゆく。

例、イラク攻撃(1998年1月、ラムズフェルドはじめ18人がクリントンのイラク政策を公開書簡で批判、体制変革と主張)。この他、ABM条約の破棄、ミサイル防衛早期配備、先制攻撃戦略、核兵器の小型化など。
これらの政策原案はプロジェクトが2000年9月に発表した「米防衛の再構築」で提言。そのほとんどは02年9月ブッシュ政権が議会に提出した「米国の安全保障戦略」に取り入れられ、ブッシュ・ドクトリンとして政策化され、実施されている。

5)グループの日常活動、ブッシュ政権のブレーンの役割
ブッシュのテレビ演説、その他の重要政策の意義を解説するニューズレターを発行
クリストル事務局長は独自の週間新聞を発行
ケーガンはテレビ、新聞で見解を発表
プロジェクトとして講演会などを開催

・結論 政権とこれだけ密着して活動するシンク・タンクは米政治史上初めて。
    いわば米帝国のブレーンの役割を果たしている。   

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 講演のレジュメ
 国際化時代の日本経済
(2003年4-5月 埼玉県北部農業共済組合、静岡県市町村職員共済組合)

1)海外の日本認識
日本の力の衰退、日本に政治のリーダーシップなし
中国がアジアの声を代表する動き
・先進国サミット
 中国参加 米英仏ロ中 独日イカ
 中国の力、経済、科学技術、文化面で台頭の動き
 03年中に有人宇宙飛行計画も

・現在の日本の問題、力の衰退
 戦後の経済急上昇、現在は急下降
 ナスダックの日本撤退
 海外報道機関の撤退
 金融資産も海外へ逃避、02年の資金純流出額 23兆円

2)日本のリーダーシップの問題
政治、社会、思考様式が重なる制度的な欠陥
小泉内閣の構造改革が難航する理由
・地球規模社会(グローバリゼーション)に立ち向う陣立てが必要
・現在の日本は、秀吉、家康の軍の前で小田原評定を続けた故事と同じ状況

3)グローバリゼーション、1973年の石油危機以後の問題
各国とも乗り切りに全力投球
・イギリスはサッチャー、ウインブルドン方式
・米国はレーガン、大規模減税と小さい政府
・日本は中曽根、前川レポートの規制緩和
 何故、日本は前川レポートが完全に実行できなかったか
 政治構造 内閣と官僚機構の違い
 米政権の構造、大統領は就任時に閣僚、官僚機構を自分の部下で総入れ替え
 日本は大臣だけが交代、いわばパラシュート降下人事

4)もう1つの改革難航の原因
日本的社会構造
…相互扶助社会(共同体の維持が至上命題)
 経済的には採算無視の生産体制
 (コメ、塩、縁故採用、終身雇用、年功序列、春闘賃上げが代表例)

欧米型社会構造
…競争社会(効率、利潤の市場原理)
 (ベニスの商人のシャイロックが代表例、契約、採算、競争、利潤)

・日本が迫られているもの
相互扶助社会から競争社会への転換
  (日本型)  企業   (米国型)
  従業員重視  目標    株主重視
  長期安定   取引    市場(スポット重視)
  協調     付合い   競争(有利な方を選択)
  介入、指導  政府    自助努力
5)今後の問題 
農業 全国で耕地整理、膨大な投資をして水の流れを変えた
採算を無視(相互扶助のため、日本が背負う最大の不良債権になる可能性)
教育 英語社会、競争社会への移行は確実、しかし、日本はゆとり教育
日本の若者に競争意識なし
優秀な若者を海外で教育するシステムを構築する必要



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 講演のレジュメ
 日朝国交正常化交渉の条件
(2002年10-11月 東洋学園大学欧米政治経済研究会、日本海員倶楽部)

「国交正常化交渉の目的」
・国家と国民が交流を開始するにあたり相手を見定める

1)交渉の相手 金正日政権はどんな政権か
・国家の領域 国民 領土問題、国民の位置付け(在日朝鮮人の地位)
・日本との関係(過去と現在) 
 過去の植民地統治の清算
 日韓併合と金日成のゲリラ戦の取り扱い
 日本と戦争したとすれば、賠償
 日本の主張は経済協力

・国際関係の状況 国際秩序に背き、孤立状態
 拉致問題、テロの一環、米経済制裁中
 核開発問題

・過去12回の交渉で、北朝鮮は軟化、国内の窮状の影響

2)日本の条件
・核開発の放棄(広島、長崎があるのに日本は北朝鮮の核の関心が薄い)
 1994年についで2回目の核開発、米朝枠組み合意違反
 日本にとって問題、テポドン、ノドンは日本向けの照準
 (米国だけの問題ではない、N.Y.T.報道では戦火勃発の場合、日本の犠牲者数百万人という)

・拉致の解明、日本国民の安全、まだ被害者存在の可能性
 テロ対策の一環として、よど号事件の犯人問題とともに解決
 拉致は国家戦略の一環 
 米の経済制裁解除の条件とも関連

・ 国際問題 米、韓国、中ロ、国連とも同一歩調を取る必要

3)拉致事件の今後
・家族の帰国にこだわる理由
 北朝鮮国内の一貫性のなさ、核開発問題でも場当たり的
 政権内の混乱 食糧危機 エネルギー危機 住民亡命

・ブッシュ政権の姿勢
 情報を握って指導権を取る
 枠組み合意凍結の姿勢
 しかし、イラクと違い軍事攻撃は避けたい
 日本も含め犠牲が大きすぎる

4)日本の安全保障の問題
 「日本には足元の安保感覚なし」
・朝鮮半島情勢を軽視
 拉致問題もかなりのものは防げたはず
 1974年8月15日、朴大統領狙撃事件の教訓
 韓国の警備態勢の強化、日本の無防備の欠陥を衝かれた

・広島、長崎の教訓、米を批判し、北朝鮮、中国には甘い
 日本の安保感覚の足元に矛盾、平和運動を推進したグループにも問題

・テロ時代に安全保障を確立する必要
 憲法の平和目標は理想として当然目指すべきもの
 同時に足元の国民の安全確保にも手段を尽くせ



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 講演のレジュメ
 今の日本を考える
(2002年8月 埼玉県寄居地区教育研究)

1) 海外の日本認識
日本は失速中 
・日本のリーダーシップの衰退
・ナスダックの日本撤退
・海外報道機関の日本撤退

2) 日本の国際政治力、外交能力
国力の基本 政治力を支える軍事力なし、経済力は衰退中、文化力に国際性なし

3) 戦後平和憲法の影響
憲法を客観的に評価する雰囲気育たず
日本の常識、海外の非常識に陥る

4)改革の難航
日本的社会構造・・・相互扶助社会
目指す欧米型社会・・・競争社会
相互扶助社会から競争社会への転換に踏み切れず

5)宗教なき社会
日本は世界でも稀有の宗教なき社会
青少年問題、モラルの基本理念の欠如、教育の荒廃の原因を探れ


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 講演のレジュメ
 国際政治と経済
(2002年5月 酒田法人会、雇用・能力開発機構 山形センター、足利市坂西商工会他)

総論
日本経済、底入れ(5月17日の竹中経済財政担当相発言)
1−3月期のGDPに期待、しかし、4−6、7−9はまた低迷の可能性
国際的には、日本の経済競争力30位(スイスのIMD、韓国28位、中国31位、シンガポール5位)

日本再生の条件は…?
1) 小泉改革
不良債券、郵便貯金、財政改革(赤字削減)、政治改革、汚職一掃
日本はこれらの問題に取り組み、過去10年間、8人の首相交代
この課題のどれかで躓いて倒れた

2) 日本が抱える政治体質の問題
・構造的 織田信長と小泉首相の違い⇒領地召し上げか、落下傘降下か
 アメリカは領地召し上げ方式

3)日本経済の見通し
・失業5.2%、個人消費、設備投資低迷、ただ、在庫減少、鉱工業生産はやや増加
・欧米、アジア各国は不況を脱出、02年は平均4.8%の成長(アジア開銀)
 日本政府見通しは0.3%

何故か…?日本経済の現状
・経済資源の活用度
 外貨、金保有、金融資産は1位、しかし運用は最下位
 人的資源、高校、大学進学率は上位、しかし、役立つ教育は最下位
 企業家精神、外国人の雇用など最下位
 製造業の競争力 自動車、家電は競争力あり
 ただし、家電は高額な国内流通費で最終消費時点に競争力下落

・規制、公共事業がひ弱な体質形成
 「行政改革の焦点、常識では考えられない例」
 特別会計 37会計のうち22会計が赤字 赤字額14兆円
 特殊法人 道路公団 61路線中 46路線が赤字
 筆頭は東京湾アクアライン 経費1億3700万円、収入4000万円
 本州・四国連絡橋公団、3ルート、10本、1400億円必要 (870億円の収入)

・入札は談合、相互扶助体質の後遺症
 欧米はユダヤ式商法、シャイロック商法

結論「どうすべきか」
・ 議会、選挙から改革、国民の自覚が必要
・ 行政、人事改革、幹部の民間交流
・ 司法、民間交流
・ 日本の制度過信の旧弊を正す

1.銀行、金融機関の問題 (相互扶助が基本体質、高利貸的競争体質なし)
 国際化、金融自由化、国際マーケット参入で体質改善
2.企業の助け合い体質の放棄
 終身雇用、年功序列、賃上げ、組合、縁故採用
3.家電の敗北、日本のアナログ、デジタルに敗北
 この教訓を生かせ


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 講演のレジュメ
 アメリカの安全保障戦略と日本の対応
(2002年4月 東京飯田橋レインボー・クラブ、千葉流山市市民教養講座、兵庫県山南町商工会他)

1)21世紀の国際政治地図
「実態はアメリカ支配、パックス・アメリカーナ」
安保のアメリカ 治安維持は最強者の権限
政治のEU 成熟の証明(歴史的経験、文化的伝統、安定、権限ないが権威)
アジアのリーダー中国 
⇒アジアのシンボル(人口過剰、低賃金、独裁、貧富の両極)
⇒アジアは平和も混乱も中国次第

「ヨーロッパは国家間の戦争はない、しかし中東、アジアはとてもそうは言えない」
・20世紀は米英仏ロのボス支配、ヨーロッパはEUとNATOで秩序が安定
・21世紀の問題、核兵器、化学、生物兵器がテロリスト、テロ国家に渡ること

2)アメリカの新戦略
ミサイル防衛の狙い 21世紀の新戦略
・核兵器だけに依存する安全保障戦略修正
・地球規模の警備システムか

3)日本の役割
ミサイル防衛のTMDで日米共同研究
北朝鮮のミサイル(スカッド、ノドン、テポドン2段式、3段式)
中国のミサイル (ICBMは20基、最近3隻の潜水艦からSLBMの発射実験)
日本の立場 個別的自衛権、専守防衛の範囲内
共同研究は海上配備型上層システム 下降段階での迎撃、自主運用

4)核廃絶は可能なのか
核兵器の意義の変遷
・威力は広島、長崎で実証
・使えない兵器
・日本の役割、主張を生かすには何ができるか


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掲載、引用、メールでのお問い合わせは持田直武まで。