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北朝鮮の核危機(4) ブッシュ政権は知っていた
持田直武 国際ニュース分析

2003年2月11日 持田直武

 北朝鮮は今回の核危機の原因となるウラニウム型核開発計画を1995年に開始した。94年の枠組み合意で、米国に核凍結を約束してから1年も経っていない時だ。パキスタンが高速回転遠心分離器を提供、実験も指導、すでに核兵器用の濃縮ウランを集積しているという。ブッシュ政権はかなり前からこれを知っていた。


・まえがき

 北朝鮮の核危機は1990年代前半に起きたプルトニウム型核開発が原因の危機、現在のウラニウム型核開発が原因の危機の2つがある。プルトニウム型核開発は94年の米朝枠組み合意で凍結されたが、それから1年も経たないうちに北朝鮮はウラニウム型核開発に乗り出した。この小論はウラニウム型核開発に起因する現在の危機について次のような4章に分けて取り上げた。

第一章 CIAが疑った通りのウラニウム型核開発の展開
第二章 クリントン政権の対応に共和党強硬派が反発
第三章 強硬派を基盤とするブッシュ政権の北朝鮮政策
第四章 核危機で深まる米韓同盟の亀裂

下記のような資料を使用した。
(WP)Washington Post(数字は年月日)
(NYT)New York Times
(WF)Washington File, Department of State, International Information Programs
(BG)Bill Gertz, Betrayal,1999  邦訳「誰がテポドン開発を許したか」文芸春秋(数字は邦訳のページ数)
(SH論文)Seymour M. Hersh, The Cold Test, The New Yorker, January 27 2003
(P提言)Dr. William J. Perry, Review of United States Policy Toward North Korea, October 12 1999


第一章 CIAが疑った通りのウラニウム型核開発の展開

1、新核開発の開始は枠組み合意後1年以内

 アーミテージ国務副長官は03年2月4日、上院外交委員会で証言し、北朝鮮のウラニウム型核兵器開発に協力した国がパキスタンであることを初めて確認した。ムシャラフ政権がブッシュ政権に対して「協力したが、すでに終わった」と協力の事実を認めたのだという。同副長官はこれ以上の説明はしなかったが、これに関連して議会リサーチ・サービスも両国の核兵器開発に関する協力関係は1995年から始まったという調査結果を最近まとめた。(WP03・2・1)

 北朝鮮の金正日政権が米クリントン政権と枠組み合意を締結し、プルトニウム型核兵器開発を凍結すると約束したのが94年10月。それから1年も経たずに別の核開発計画に乗り出したことになる。だが、これは米情報機関が疑った通りの展開だった。CIAは95年のNational Intelligence Estimate(以下NIEと略)で「北朝鮮の枠組み合意に対する姿勢は絶対の忠誠とは言いがたい」と次のように書いていた。

 「機密情報によると、北朝鮮の高官の中には、合意内容の解釈で異論を唱える者もいる。・・・北朝鮮の過去の行動から考えて、現在の(プルトニウム)核開発を放棄するのは、他の核分裂物質が開発された時だけである」(BG p167−8)。このCIAの判断の通り、北朝鮮はプルトニウム核開発の凍結を約束したあと、ただちに次のウラニウムによる核兵器開発に乗り出したのである。

 参考までに、北朝鮮は85年核拡散防止条約に加盟したほか、91年に韓国との南北非核化共同宣言、94年に米朝枠組み合意を締結して核兵器開発をしないと宣言した。一方、パキスタンは核拡散防止条約に加盟していない。


2、中国が絡んだ核とミサイル技術の流出

 パキスタンがこの北朝鮮の核開発に協力するきっかけは、皮肉なことに米クリントン政権がパキスタンに経済制裁を科したからだった。パキスタンは93年、中国から中距離ミサイルM−11を購入。これに対し、クリントン政権がMTCR(ミサイル関連技術輸出規制)に違反するとして両国に制裁を科した。そこで、パキスタンは購入先を北朝鮮に変更。北朝鮮からノドン・ミサイルと関連技術を入手、その見返りにウラニウム核開発の技術を提供することになる。

 パキスタンは当時からすでに高度な核開発技術を持っていた。中国が開発した環状磁石やマグネチック・サスペンション・ベアリングを入手して、ウラン濃縮のための遠心分離機を高速回転することが可能になったからだ。(BGp188)環状磁石などの備品は核拡散防止条約で輸出を規制されている。しかし、中国はこれを輸出したことはこれまで認めていない。

 CIAが02年6月にまとめた極秘文書NIEは「パキスタンがこの高速回転遠心分離機を北朝鮮に渡したのは1997年頃」と述べている。パキスタンの原爆の父と言われるアブドル・カーン博士がこの頃、CIAが確認しただけでも13回北朝鮮を訪問した。核爆発のシミュレーションである一連の“Cold Test”などを同博士が指導したとみられるのだ。この結果、パキスタンが10年余りもかけて獲得した技術を北朝鮮は短期間で手に入れた。(SH論文p42)

 NIEはさらに「北朝鮮は01年から相当量のウランの濃縮を開始した。同時にパキスタンはウラニウム型核爆弾の製造方法、実験のデータ、それに米偵察衛星の探知を逃れる方法まで教えた」と書いている。米情報機関の関係者はセイモアー・ハーシュ記者に対して、「このおかげで、北朝鮮は現在保有している数千の遠心分離機を使って年間2−3個の核爆弾用濃縮ウランを製造できる」と語っている。(SH論文p43)


第二章 クリントン政権の対応に共和党強硬派が反発

1、甘かったクリントン政権の対応

 米CIAやDIA(国防情報局)は北朝鮮のこの一連の動きに関する情報を断片的ながらも掴んでいた。DIAは疑惑の施設として、98年夏に表面化した平壌北方の金倉里の巨大な地下施設など、合わせて10箇所をリストアップしていた。(NYT00・8・7)しかし、当時のクリントン政権の対応は十分と言えるものではなかった。

 ニューヨーク・タイムズが98年夏、「偵察衛星が金倉里に巨大地下施設と労働者の大群を撮影した」と報道したあと、同政権は当時の米朝高官協議にこの疑惑を持ち出して北朝鮮側を追及した。だが、北朝鮮は激しく反発して紛糾。ようやく、翌年5月に米専門家の現地立ち入りを認めるが、その時はすでに地下施設は空になり、核開発の証拠は見つからなかった。

 議会内に批判が高まると、クリントン政権はペリー元国防長官に北朝鮮政策の包括的な見直しを委嘱。元長官は99年10月、これに答えてペリー報告を提出した。この中で、元長官は「枠組み合意はすべての核兵器関連活動を凍結していない」と同合意の限界を指摘する。金倉里の巨大地下施設などを念頭においての指摘だった。そして、「これは、枠組み合意を変えるのではなく、補強して対応するべきだ」と提言した。クリントン政権に対して、新たな対応を求めたのだ。(P提言p6)

 しかし、クリントン政権はこれに答えなかった。当時、北朝鮮がテポドン再発射の動きをみせ、ミサイル規制の方が急務だったのも事実だ。米朝高官協議もミサイル規制が最重要課題になった。一方で、韓国に成立した金大中政権が太陽政策を掲げ、00年6月歴史的な南北首脳会談を実現させるなど、朝鮮半島情勢に変化の兆しが出たことも影響した。この変化を背景に00年10月、オルブライト国務長官が訪朝、大統領自身も訪朝する計画だった。結局、任期切れで大統領訪朝は実現しなかったが、米国内には同政権が核やミサイル問題を軽視しているとの不満が高まった。


2、批判の火の手をあげた共和党強硬派

 共和党内の3つのグループがこのクリントン政権批判の急先鋒になった。1つは、現国務副長官アーミテージ、国防副長官ウオルフォビッツの両氏が組織した国防大学の研究会グループ。同グループは99年の報告書で「北朝鮮がウラニウム濃縮技術を使って、秘密裏に核開発に乗り出した」との結論を出した。(WP03・2・1)

 もう1つは、下院共和党の軍事、外交、情報の各委員長など下院幹部が構成する政策諮問グループ。同グループも99年11月の報告書で、「北朝鮮がウラニウム濃縮技術を使って核兵器の秘密開発を進めている顕著な証拠がある」と主張した。米情報機関はこの頃、北朝鮮の新たな核開発がウラニウム濃縮によるものかどうか言及していなかった。しかし、2つのグループはこの時点でウラニウムと断定、寧辺のプルトニウム核施設の凍結だけを決めた枠組み合意の欠陥を指摘し、クリントン政権が新たな核疑惑に対して何の措置もとっていないと批判した。(WP03・2・1)

 また、もう一つは現国防長官ラムズフェルドが委員長となった議会委嘱のミサイル調査委員会。同委員会は98年7月に報告書を出し、クリントン政権が95年の国防報告で「今後15年間、米本土を狙うミサイルはない」と断定したことに反論。イランのシャハブ・ミサイルや北朝鮮のテポドン開発の動きを指摘して、米本土攻撃の可能性を警告した。その2週間後、イランがシャハブ3を発射、6週間後には北朝鮮がテポドンを発射し、この警告が正鵠を射たものとの評価を高めることになった。(BGp96)

 当時、インド亜大陸と中東の不安定地域では、中国はパキスタンと協力関係を持ち、ロシアはイラン、イラクと協力、北朝鮮はパキスタン、イラン、イラクに接近、という関係が生まれ、このルートで核やミサイル、その関連技術が流れていた。中でも、ロシアでは冷戦後の混乱期に核兵器関連物質が大量に紛失した疑いがあり、これがテロ組織に流れるのではないかという恐れがあった。

 ラムズフェルド委員会の報告はこの状況を指摘して、ミサイル防衛構築の必要性を強調した。米議会は99年3月、ミサイル防衛に消極的だったクリントン政権の方針を覆し、同防衛の配備を決議するが、その方針転換にこの委員会報告が大きな影響を与えたのだった。


第三章 強硬派を基盤とするブッシュ政権の北朝鮮政策

1、金大中政権との溝表面化

 ブッシュ大統領は01年1月就任すると、外交、安保政策を担う中心に上記のような経歴のラムズフェルド、アーミテージ、ウオルフォビッツの3人の強硬派を据えた。これに副大統領のチェニーを加え、強硬外交の布陣を形成したのだ。そして、北朝鮮政策がまず見直しの対象になった。それに関連して、金大中大統領の太陽政策にも厳しい視線が向けられた。

 金大中大統領は01年3月、アジアの首脳の先頭を切ってワシントンを訪問、ブッシュ大統領と会談した。この席で、ブッシュ大統領は北朝鮮の金正日総書記には「不信(Skepticism)」を持っていると発言。さらに「北朝鮮には不透明なことが多く、米国との約束を守るのかどうか不確実だ」と述べた。そして、「今後、北朝鮮と合意する場合は厳しい検証措置が必要だ」と強調した。(WF01・3・7)

 ブッシュ大統領は会談後の記者会見でも、まったく同じ発言をした。この発言が北朝鮮の新たな核開発を踏まえたものであることは明らかだが、当時はブッシュ政権内の少数の関係者を除き、それが分かるはずもなかった。また、同大統領の「検証措置が必要」との発言は、金大中大統領が太陽政策で北朝鮮に寛容なことへの懸念の表明であることも明らかだった。しかし、金大中大統領は太陽政策を続ける方針を変えなかった。

 この会談のもう一つの焦点、ミサイル防衛問題では、金大中政権が同盟不参加という従来の方針を転換せざるをえなかった。同政権は99年3月、当時の千容宅国防相がミサイル防衛不参加を表明して以来、同防衛と一線を画する姿勢を堅持。金大統領は訪米直前の01年2月27日、訪韓したロシアのプーチン大統領と「ABM条約維持」を支持する共同声明を出した。ブッシュ政権が掲げたABM条約破棄、ミサイル防衛推進の方針に真っ向から対立する動きだった。

 この韓国の動きに対して、ブッシュ政権はただちに説明を要求。結局、ブッシュ・金大中の首脳会談では、「現在の安全保障環境は冷戦時代と基本的に違い、防衛と抑止の新しい対応が必要なことで合意した」との共同声明を出した。(WF01・3・7)ミサイル防衛という言葉を避けながらも、金大中政権側が同防衛不参加の方針を転換したことを示した。このミサイル防衛不参加は金大中政権が中国やロシア、北朝鮮の動向を睨んで打ち出した方針だが、米韓同盟とは相容れないものであり、結局この問題ではブッシュ政権が金大中政権を押さえ込んだ形になった。


2、9・11後の新情勢で、「悪の枢軸」が浮上

 ブッシュ大統領は02年1月29日、一般教書演説で北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」と糾弾した。敵と味方を峻別するブッシュ戦略的表現である。第二章で触れたようにインド亜大陸、中東の不安定地域では、これまで中国、ロシア、パキスタン、イラン、イラク、北朝鮮がそれぞれのルートで核とミサイル技術のやり取りを続け、これにテロ組織が加わる恐れが消えなかった。

 9・11同時多発テロ事件後、この構図に大きな変化が起きる。中国、ロシア、パキスタンがこれまでの経緯を棚上げして、ブッシュ政権の陣営に参加、隊列を組んでテロ戦争推進に協力することになった。そして、敵側として残ったのが「悪の枢軸」、イラン、イラク、北朝鮮ということになった。この枢軸の浮上にあたって、パキスタンのムシャラフ政権が無視できない動きをした。

 ムシャラフ大統領は9・11後、これまで友好関係にあったアフガニスタンのタリバン政権と絶縁し、ブッシュ政権のテロ戦争に協力する決定をした。ブッシュ政権が98年のパキスタン核実験以来続けていた経済制裁を解除することが条件だった。一方、パキスタンは北朝鮮と続けていた核とミサイルの交換取引を停止、その関連情報などをブッシュ政権に渡すことになった。9・11事件から数週間後のことである。ブッシュ政権がこうして手に入れた情報が、「悪の枢軸」を浮かび上がらせ、糾弾の背景になったことは明らかだった。(WP03・2・1)


第四章 核危機で深まる米韓同盟の亀裂

1、北朝鮮の核開発肯定発言をめぐって対立

 今回の核危機は02年10月3−4日のケリー国務次官補と北朝鮮の姜錫柱第一外務次官の会談が発端となって表面化した。ケリー次官補が北朝鮮のウラニウム核開発の証拠を突きつけると、姜外務次官は最初否定したが、翌日になって計画の存在を肯定し、枠組み合意は「無効になった」と告げたという。その後、北朝鮮外務省スポークスマンやメディアはこの肯定発言に沿ったような言葉使いをするが、次第にあいまいになり、最後に朝鮮中央放送は11月28日、「米国はありもしない核問題を持ち出している」と核計画の存在を否定してしまう。

 ブッシュ政権が当惑したのは、韓国政府幹部がこの北朝鮮の否定発言の肩を持つような姿勢を見せたことだ。10月26日、メキシコAPECの席で、日米韓の3首脳が核危機問題を話し合う直前だった。丁世鉉統一相が姜外務次官の肯定発言について「ケリー次官補の聞き違いではないか」と記者団に語り、大きく報じられたのだ。ケリー次官補は直ちに反論したが、韓国内では朝鮮語の微妙な言い回しを誤解したという見方が消えなかった。(NYT02・10・24)

 1月初めになって、パウエル国務長官がこの問題に介入、ワシントン・ポスト紙を通じて異例の説明をした。同紙の複数の編集者と記者を招き、ケリー次官補と姜錫柱外務次官の会談がどのように行われたか説明したのだ。それによれば、同次官補には3人の通訳が同行した。会談では、姜外務次官は最初否定したが、翌日「イエス」と認めた。パウエル国務長官は「その日は夜通し、彼らはPrincipals(主要幹部)の会議を開いて情勢判断をしたのだ」と語った。(WP03・1・13)

 パウエル長官の説明は韓国側にわだかまる疑問の解消をねらったものだが、同時に興味ある事実を垣間見させた。会談の夜、北朝鮮側が主要幹部会議を開いて情勢判断したことを、同長官が知っていることだ。同長官は2月5日、国連安保理にイラクの安保理決議違反の証拠を提示、その中でイラク側関係者の会話の盗聴記録を公開した。同じことを平壌で行ったのではないかと勘ぐることもできるのだ。


2、北朝鮮の核保有容認発言も飛び出す

 核危機が深刻化すると、米韓の溝はさらに深まる。金大中大統領は03年1月24日、外国記者団との会見で、「レーガン元大統領はソ連を悪の帝国と呼んで嫌ったが、交渉はした」と述べ、ブッシュ大統領が北朝鮮と交渉しないことを批判した。また、ブッシュ政権が問題をIAEA(国際原子力機関)の理事会にかけ、国連安保理に持ち出す方針を決めると、これにも反対した。

 一方、盧武鉉新大統領も1月16日、ニューヨーク・タイムズとの会見で、「武力行使反対」の立場を鮮明にし、「米軍が武力行使をする場合、韓国から出撃することは認めない」と述べた。(NYT03・1・17)盧武鉉新大統領は新政権発足にあたって腹心の鄭大哲国会議員を団長とする代表団をワシントンに派遣、鄭団長は2月4日、パウエル国務長官と会談した。

 そのあと、同代表団を迎えて開かれた私的な会合で、代表団幹部が「如何なる場合も武力行使に反対する」と重ねて強調。同幹部はさらに「新政権は(武力行使で)北朝鮮が崩壊するのを見るより、北朝鮮が核保有するほうを選ぶ」と発言した。これを聞いた米側出席者は唖然としたという。(NYT03・2・7)

 また、金大中政権と盧武鉉新政権の幹部は1月初め、韓国は対立するブッシュ政権と北朝鮮の仲裁役に回るという方針を打ち出した。中立の立場に立って調停し、場合によってはブッシュ政権と北朝鮮の双方から譲歩を求めるというのだ。これに対して、レーガン政権の国家安全保障担当補佐官だったリチャード・アレン氏がニューヨーク・タイムズのオピニオン欄で米韓同盟に対する「深刻な裏切り行為(A serious breach of faith)」と厳しく批判した。(NYT03・1・16)

 この批判が出たあとの1月27日、金大中政権は林東源大統領特別補佐官を団長とする仲裁チームを平壌に送った。盧武鉉新大統領もこの仲裁チームに腹心の部下を参加させる。ブッシュ政権との溝は新政権になっても変わらないとみてようだろう。


3、故金日成主席を評価する歴史教科書登場

 韓国がこのような動きを示す背景には、金大中政権が5年間太陽政策で蓄積した北朝鮮との交流の実績がある。ワシントン・ポストはソウルの喫茶店でブランド品を持つ20代後半の女性3人がインタビューに答え、「北朝鮮が韓国の同胞を核兵器で攻撃するはずがない」と語ったこと、そして、この答えはソウルの至るところで聞かれると伝えた。(WP03・1・9)

 北朝鮮に対する国民感情の変化は、高校の歴史教科書が新学期から北朝鮮の故金日成主席を評価する文章を採用することにも現れている。金主席が1930年代後半、日本支配下の旧満州でゲリラ部隊を率いて、日本軍を攻撃した事実を取り上げている。短い文章だが、韓国で北朝鮮の指導者をこのように評価して扱うのは初めてで、韓国内でも時代は変化したという感慨を抱く人が多いという。

 盧武鉉新大統領は就任後の政策の柱として、日本、中国、ロシアを含めた東アジア経済圏構想を打ち出し、この中に北朝鮮を取り込む計画といわれる。すでに韓国と中国の貿易は02年度往復1,000億ドルに迫り、対中直接投資も17.2億ドルでいずれも米国を抜くことが確実。経済面では、中国の存在が米国よりも重みを増している。金大中政権が北朝鮮との鉄道、道路の連結を急ぐのも、その背後の中国、ロシアとの交流を展望しているからだ。韓国をめぐる地政学的状況が変化しており、米韓同盟だけが今まで通りで済むはずがないと考えるべきなのだろう。


・むすび

 今回の核危機は、行き詰まった北朝鮮が方向感覚もすでに失いつつあることを示している。同時にこれに対応すべき米韓同盟もかつてのメカニズムを喪失している。韓国をめぐる地政学上の大きな変化が米韓同盟の歯車と合わなくなっているのだ。北朝鮮の核危機はいずれ終わる。その時、米韓双方は同盟の再検討をすることが不可避となったと言える。在韓米軍の位置付けも変わることは明らかで、当然日本にも大きな影響を与えることになる。

(5) 韓国新政権の前途多難 へ


掲載、引用の場合は持田直武までご連絡下さい。


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