アメリカ三面記事便り
I Am the Central Park Jogger: A Story of Hope and Possiblity

セントラルパーク・ジョガー事件が教える事

セントラルパーク・ジョガー事件と言えば、今から14年前の1989年に、公 園をジョギング中だった銀行勤務の白人女性(当時29)が、レイプされ頭に重傷を 負って、意識不明で発見された事件のことだ。犯人として、14歳から16歳の黒人やヒスパニックの少年たち5人が逮捕され、7年から11年の実刑判決を受けた。

当時このニュースは大きく扱われ、マンハッタンは少年ギャング団が徘徊し、白 人女性が物陰に引きずり込まれる危険な所だという認識を、全米に植えつけたそうだ。セントラルパークはマンハッタンの成功者達が住むアッパー地域と、黒人やヒスパニックばかりが住むハーレム地域をつなぐ大きな公園だ。犯人として逮捕された少年達の中には、英語が十分に話せないものもいた。だからこの事件は、アメリカの人種問題、貧富の差、正義の象徴として、ずっと語られてきたという。

この事件の被害者の女性は、事件の記憶を無くしているという理由で、マスコミ の前には一切登場しなかった。重傷を負ったという被害者がその後どうなってしまったのか、興味は持たれても、知ることはできなかった。それが、事件から14年目にして初めて被害者トリシア・メリルは本名を明らかにした。表紙に自分の写真を載せた「アイ・アム・ア セントラルパーク・ジョガー」を出版したからだ。「読者が知りたかった殆ど全てのことが、この表紙に載っている」と、ニューヨークポストは書評で書いている。

事件で彼女は脳に負傷し、失明寸前で、発見された時には身体中の血液をほとんど失っていたという。事件後は12日間も意識不明で、その後5週間は精神錯乱の状態だった。記憶は、事件当日の夕方5時に友人宅に夕食に招かれたところで途切れており、事件後しばらく身体障害と言語障害に悩み、辛く苦しいリハビリ治療を受ける事になる。

実は、この本の出版直前に、事件はまた大きな注目を集めた。別の事件で服役中だった男性(33)が、このセントラルパーク・ジョガー事件は、自分の単独犯行だったと自供したのだ。証拠のDNAも一致し、マンハッタン・ファイブと呼ばれていた元受刑者達全員が、無罪となった。

当時の裁判では、有罪となったのは、自白場面のビデオテープが証拠として法廷に提出されたからだった。10代の後半と20代の大部分を監獄で過ごすことになった彼らは、なぜ自白をしたのか。人種的偏見が捜査や判決に影響を与えたのではないか。
真犯人が明らかになったとき、「それでもあいつらは、絶対何かやっていたはずだ」とタブロイド紙は報じ、家族側は大規模な記者会見を開いて、賠償請求の訴訟を起こすと訴えた。

しかし、被害者のトリシア・メリルは、事件の真実がどうであろうと自分にはわからないし、知りたくもないと言う。
「私はただ、どんな困難な状況に陥っても人間はカムバックできるんだということ、他人の支えや愛がどんなに状況を変えるかということを伝えたかったのです。私がその例なのですから」

この本は発売直後からずっと、ニューヨークタイムスのベストセラーリストに載っている。アメリカでは、逆境をバネにたくましく生きている人たちの本が多く出版され、常にランキングの上位に入っている。今売れているのは、この「アイ・アム・ザ・セントラルパーク・ジョガー」の他に、子供の頃に虐待された経験をつづった「ア・チャイルド・コールド・イット」や、自らのレイプ体験をもとに書かれた小説「ラブリー・ボーンズ」などがある。「ア・チャイルド…」などは250週以上もランクインを続けている。

どうしてこういう本が次々出版され、すごく売れるのか。日本ではちょっと考えられない現象だ。
「逆境から立ち直った人たちの話のは、何か学ぶ所があるからね」と、アメリカ人の知人は言う。
自分が見事に立ち直ったことをみんなに知らせたかったと言う作者と、そこには必ず学ぶ事があるという読者。日本と比べてアメリカには、こう考える人たちがとても多いようだ。

written by 篠田なぎさ(⇒ プロフィール



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