アメリカ三面記事便り

巷にあふれるSeptember11

 アメリカに来て実感するのは、メディアにも人の会話にも「September11」という言 葉がとても頻繁に登場することだ。
 ニューヨークに暮らす人々の誰もが「September11」の前と後で、街の様相も自 分の意識も大きく変わったと言う。仕事がヒマになり、解雇の不安におびえ、厳しく なったセキュリティチェックにうんざりしている。そしてそのすべてが「仕方のない こと」なのだと受け取られているように見える。「あんなことがあったのだから、仕 方がないよね」と。

 あの日、ワールドトレードセンターでテロがあったと知って、みんな家族に連絡を 取ろうと必死になったこと。オフィスはすぐにもぬけの殻になり、バスには人が鈴な りになり、ドアも閉められずに街を走っていたこと。スーパーには水や食料を買い出 す人が長い列を作り、夜は原子爆弾の攻撃があるというデマに脅えて眠れなかったこ となどを、聞いた。
 翌日からは、きな臭い匂いと埃が街に立ち込める中、行方不明の同僚の家族を探し て、手分けして街中の病院を回り、掲示板に写真を貼って歩いたこと。同じことをし ているほかの行方不明者の家族を見て、あらたに胸がつぶれる思いがしたことも、涙 ながらに聞いた。
 そしてその後1ヶ月ほども、街中に何とも言えない匂いが立ち込めていたこと。 その匂いは嗅ぐたびに、くすぶり続ける瓦礫と、その中にいたであろう人たちを思い出させたという。

 日本にいた時にメディアからの情報として知ってはいたけれど、体験した人が語る 言葉にはとても凄みがある。
「あれ以来、せこせこ貯金をしても仕方が無いと思うようになったの」と冗談めかし て言っていた友人が、「それに、色々なことに感謝するようになった」と付け足すよ うにポツリと呟いたのが印象的だった。

 ニュース番組では、中東で次々起こる自爆テロが「September11以来続くテロの脅威 がまた…」といった論調で報道されている。コマーシャルタイムにはボランティア団 体が、September11で亡くなった人のプロフィールを紹介し、残された人の心のケア も大切ですと連絡先を流している。1ヶ月後に迫ったSeptember11の一周年式典の詳細 も市当局から発表された。ビルが倒壊した時間には街中の教会の鐘が鳴り、追悼式では犠牲者全員の名前が読み上げられるという。


 反面驚いたのは、観光客向けに売られている絵葉書に、ハイジャック 機のビルへの激突の瞬間をモチーフにしたものが多かったことだ。ニュース番組すら 衝撃が大きすぎると映像を報道自粛にしたはずなのに、とあまりいい気持ちがしな かった。
 それが、September11の一周年まであと一ヶ月となった時に、いっせいに街角から消 えたことに気がついた。
「あんまり売れなかったからさ」と土産物屋さんはお茶を濁 したが、一周年に向けて死者を悼む気持ちが再び高まってくる中で、置いておくには 偲びがたかったのだろうと思いたい。

 ところで、住民となって気になるのは、一周年を機に再度テロがあるのでは?という 予測報道だ。 7月4日のアメリカ建国記念日の前にも盛んにあったようだが、人々の反応は様々だ。
「もう、慣れっこになっちゃって狼が来たと一緒。来たら来たで仕方がないし」とい う人もいるし
「みんな休暇を取っちゃって、7月4日前後はマンハッタンにいない人が多かったの よ」と教えてくれる人もいる。
「9月11日は休日にしてほしい」と意見も多かったようだが、結局学校の授業も会社の営業も、通常通り行われることになったそうだ。

私はどうするのかはまだ決めていないが、やっと決まったアパートに居る以外に行き場所もないので、とりあえず飲料水は少し多めに買って、謹んでこの日を迎えようと思っている。

written by 篠田なぎさ(⇒ プロフィール



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