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国家が何をしてくれるのか
持田直武 国際ニュース分析

「外交フォーラム」2002年10月号巻頭随筆 持田直武

「国家があなたに何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国家のために何ができるかを問うて欲しい」。有名なケネディ大統領の就任演説の一節だ。

 何時からか、この言葉と日本人拉致事件が私の頭の中で重なってきた。拉致された人たちに対し「国家が何をしてくれるのか」と思うからだ。これには私の義理の従兄弟サム君の体験の影響もある。

 同君は米国人貿易商と私の義理の叔母を両親とする米国人。横浜で育ち、終戦時12歳だった。父は居留民交換船で米国へ帰国、母と妹は横浜大空襲で焼死した。猛火を逃れ、マンホールの中で息を引き取ったのだ。サム君だけが助かり、大和市の知人を頼って逃げる。畑や林の中の田舎道を約20キロ、一人で歩いた。

 しかし、そこも危険になって秋田の山村に疎開、ここで終戦を迎える。しばらくして、村に米軍の一団がジープで乗りつけた。そして、村長の案内で、サム君に会いに来る。驚く同君に向かって、米軍の指揮官は政府の命令で、米国民(サム君)の安全を確認に来たと来意を告げたのだ。サム君 は現在インディアナ州に住み、今も誇らしそうな顔でこの話をする。

 その後、同君は米陸軍に志願して朝鮮戦争に従軍。さらに西ドイツ駐留軍に移って数年を過ごした。ケネディ大統領がソ連の脅威に対抗するため「国家のために何ができるか」と国民に呼びかけた頃だ。サム君にとって、国家は同君の安全確認のため秋田の山村にまで部隊を派遣した。次は同君が「国家のために何かをする」番だった。

 拉致された日本人にとって、日本という国はどんな存在だろうか。国家が救出してくれると思うだろうか。私の答えはノーだ。

米国が海外在住国民の安全確保に努力した例は、サム君の他にも数多く伝えられている。だが、日本では国家がそんな努力をした例は聞こえてこない。だから、救出してくれると考える人もいないと思うのだ。

 ケネディ大統領が「国家のために何ができるか」と呼びかけた時、同大統領は米国という国家は国民になすべきことをするという自信があったと思う。国民もその点で大統領と共通の認識があり、呼びかけに拍手で答えた。

 では、日本はどうか。拉致事件は一例だが、国民の多くは、日本という国は国民のためになすべきことをすると思っていない。だから、国民は国家の呼びかけに懐疑的だ。有事法制に対する国民の支持がまとまらないのもそのあたりに理由があると思う。 あなたは、国家のために何かできますか?


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