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フセインとアル・カイダ提携をめぐる米政権内の亀裂
持田直武 国際ニュース分析

2003年12月8日 持田直武

イラク攻撃の理由の1つ、フセイン政権とアル・カイダの提携をめぐってブッシュ政権内に亀裂が生じた。発端は、両者の提携を示す極秘メモ。イラク主戦派ファイス国防次官が議会に提出。これをネオ・コン系雑誌がすっぱ抜くと、国防総省が不正確と反論したのだ。ファイス次官の背後にチェイニー副大統領、国防総省にはブッシュ大統領の影がちらついている。


・メモはフセインとビン・ラディンの協力関係を詳述

 メモは10月27日、ファイス国防次官が上院情報委員会に提出した。ブッシュ政権はイラク攻撃の理由の1つに、フセイン政権とアル・カイダが協力、米国に対するテロ攻撃の恐れがあると主張した。議会側は、その証拠を要求したのだ。ファイス次官はこれに応じ、両者の接触が1990年に始まり、イラク攻撃直前まで続いたことなど50項目、16ページのメモにまとめて提出した。極秘扱いだったが、11月24日付けのネオ・コン系の雑誌ウイークリー・スタンダードがすっぱ抜いた。

 それによれば、関係は1990年、アル・カイダのリーダー、ビン・ラディンが部下をヨルダンに送ってイラク政府関係者と接触したのが発端。その後、スーダンの実力者アル・ツラビが両者の仲介をし、92年アル・カイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリとイラク情報局副長官ファルク・ヒジャジの会談がスーダンで実現。そして、95年まで続いた。CIAも両者の動きを掴み、93年の報告で「ビン・ラディンがイラクと連携して組織の拡大をねらっている」と分析した。

 このあと、両者の接触はパキスタンやイラク国内でもあり、アル・カイダのメンバーがバグダッドを訪問した時は、イラク情報局の秘密宿舎に滞在、情報局幹部と会議を重ねた。イラク攻撃開始後、米軍が捕らえたイラク情報局幹部は「当時、イラクはエジプトのイスラミック・ジハドと緊密な協力関係にあり、アル・カイダとの関係も深まった」と供述した。フセイン大統領は9・11事件後、この関係が外国機関に探知されるのを恐れ、情報局員の人事異動を行ったという。


・ビン・ラディン、部下の反フセイン活動を禁止

 アル・カイダとイラクの関係が始まってまもなくの93年、ビン・ラディンの部下の間にフセイン政権を忌避する動きが出た。同政権が政教分離の世俗政権で、イスラム教を建国の基本とするアル・カイダの国家理念と相容れないからだ。対立はアル・カイダ内部に広がったが、ビン・ラディンはこれを押さえ込み、フセイン大統領に対する敵対行動を禁止した。従来の通説では、アル・カイダとフセイン政権はこの対立が解消できず、協力はあり得ないと云われたが、米情報機関はこれを否定する情報を握っていたことがわかる。

 90年代後半になると、幹部間の接触はさらに活発になった。イラク情報局幹部の供述によれば、ビン・ラディンは98年1月、バグダッドを訪問してアジズ副首相と会談。その1ヶ月後、アル・カイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリもバグダッドを訪問して同副首相と会った。CIAによれば、ビン・ラディンはこの頃、イラクに生物・化学兵器や毒物の提供を要求したという複数の情報がある。一方、フセイン大統領は99年、ファルク・ヒジャジ情報局副長官を派遣してビン・ラディンと少なくとも2回会談させた。場所はスーダンとアフガニスタンだった。

 これらの会談で、イラク情報局はアル・カイダのメンバーに爆発物の製造や、生物・化学兵器の扱い方の訓練などを約束した。00年12月の米艦コール爆破事件のあと、CIAが尋問したアル・カイダのメンバーの中には、この訓練を受けるよう指示された者もいた。98−99年当時のフセイン政権は、国連が要求した大統領官邸の査察を拒否、米クリントン政権と対決していた。一方で、ビン・ラディンも98年2月23日、ファトワを宣言して「米国と米国に協力する諸国の市民に対するテロ」を呼びかけた。


・9・11実行犯のプラハ接触の真偽

 ファイス国防次官のメモは、9・11事件の実行犯モハメッド・アタがプラハでイラク情報局のプラハ支局長アル・アニと会った件も詳述している。それによれば、4回会った可能性がある。最初は94年12月、次が99年10月、00年6月、01年4月と続く。CIAとFBIは94年と00年の2件について確認、その際アル・アニは部下の経理課員に対し、アタへの資金提供を指示した。しかし、99年と01年の接触についてはデータが交錯していて確認できないという。

 この件については、チェコのグロス内相はじめ同国政府の高官5人が4回の接触を主張している。しかし、米国内ではこれらの接触を疑問とする意見が多かった。特に9・11事件5ヶ月前の01年4月9日の接触については疑問があった。会った場所が、米政府出資のラジオ局「自由ヨーロッパ」本部前で、人目の多い公開の場だったからだ。アタとアル・アニのような秘密活動の専門家がこのような場所で接触するはずがないというのだ。

 アル・カイダとフセイン政権の協力関係は9・11事件後も続いた。02年10月、両者は秘密協定を結び、同政権がアル・カイダのメンバーに隠れ家を提供、武器と資金を与える約束もした。また、同政権はイラクとシリアのパスポート90通を偽造し、アル・カイダのメンバーにこれを与えてイラク入りさせたという。


・現在のテロ活動の温床を準備した形跡も

 パウエル国務長官は2月5日の国連演説で、イラクとアル・カイダ提携の例として、アル・カイダの幹部ザルカウイのバグダッド滞在をあげた。メモはこれについても詳細に説明している。それによれば、ザルカウイはイラク滞在中の02年10月、情報局バグダッド事務所から地対空ミサイルなどの武器と爆発物を入手。いわゆるSleeper Cell(休眠細胞)を組織して、米軍進攻後に活動させる手はずを整えた。現在のようなテロ攻撃を準備する動きがあったことになる。

 この他、米軍の攻撃開始直前の3月中旬、イラク情報局は北部のクルド人居住区に移動したアル・カイダのメンバーにロケット推進式投擲弾のランチャー18基を提供したほか、アル・カイダ系列のテロ組織アンサール・アル・イスラムに10万ドルの資金を提供。今後の支援も約束した。いずれも、米軍の進攻後に備えた動きである。

 以上が、メモの要旨である。これが事実なら、フセイン政権とアル・カイダが90年代から協力関係を築き、アル・カイダのメンバーを訓練し、武器を与え、生物・化学兵器も与えかねない動きだったということになる。ブッシュ政権がイラク攻撃に踏み切った理由の1つ、フセイン政権がテロ組織と協力し、米国や同盟国への攻撃をする危険があるとの主張を裏付ける。ブッシュ政権にとっては、イラク攻撃の正当性を裏付ける内容とみえるのだが、同政権の扱いは必ずしもそうではない。


・国防総省の不可思議な否定声明

 このファイス次官のメモは極秘扱いだったが、議会提出から17日後の11月14日、ウイークリー・スタンダード(11月24日付け)がすっぱ抜いた。すると翌15日、メモを作成した当の国防総省が「内容は不正確」と否定する公式声明を出し、いかにも奇妙な展開となる。否定の理由は「メモには、CIAや国家安全保障局、国防情報局が確認途中の生情報や、未確定の判断や分析が入っている。これを事実と受け取るような表現をしている」ということらしいが、趣旨はっきりしない。ウイークリー・スタンダードはすぐに反論を掲載、議会にメモを提出した当事者がその内容を否定する声明を出す不自然さを批判した。

 否定声明の背後に、イラク戦争をめぐるブッシュ政権内の葛藤があることは明らかだった。メモをまとめたファイス国防次官は政権内では周知のネオ・コン活動家で、イラク戦争推進の急先鋒だった。そのメモは、ネオ・コンの大御所ラムズフェルド国防長官や、その上に君臨するチェイニー副大統領の意向に沿ったものだ。ウイークリー・スタンダードのウイリアム・クリストル編集長もネオ・コンであり、極秘メモの入手は、その人脈のおかげと容易に想像できる。

 しかし、ブッシュ大統領はこのグループと歩調が必ずしも同じわけではない。フセイン政権とアル・カイダの関係については、チェイニー副大統領が9月14日、テレビに出演して「協力関係にある」と断定すると、すぐに大統領自身が否定した例もある。否定の背後に、パウエル国務長官やCIA、FBIなどの情報機関の影が見える。ネオ・コン派の主張は今度のメモでよくわかった。しかし、この公開を躊躇するブッシュ大統領の判断、その背景に何があるのかがわからないのだ。


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