メインページへ戻る

レバノン流動、民主化か混乱か
持田直武 国際ニュース分析

2005年3月14日 持田直武

レバノンに駐留するシリア軍の撤退問題が焦点になった。国連は撤退を決議、米仏も完全撤退を要求して圧力を強化。だが、レバノン国内は、野党勢力は撤退要求だが、親シリアの与党側は撤退に反対、双方が大規模なデモを展開している。内戦が終結して15年、シリア軍がレバノンの治安を実質的に維持してきたことも事実。ブッシュ大統領は、撤退が中東民主化につながる一歩と主張するが、一方では撤退は治安の空白を招き、内戦が再発しかねないとの不安もある。


・前首相の暗殺事件がシリア軍撤退要求を加速

 情勢流動化のきっかけは、2月14日のハリリ前首相の暗殺だった。事件が起きたのは白昼、ホテルや銀行が立ち並ぶベイルートの中心街。前首相は議会に出席したあと、車を連ねて帰宅の途中だった。爆発で前首相、随員など合わせて18人が死んだ。爆弾を積んだ車が車列に突っ込んだという見方や、舗装道路の下に大量の爆薬を仕掛け、車列の通過に合わせて爆発させたという見方など、さまざまな憶測が飛んだ。いずれの場合も、背後にシリアの関与があるという点で共通している。シリアは1万4,000人の軍隊と5,000人の情報機関員をレバノン全土に配置し、治安維持の権限を実質的に握ってきた。この監視網をかいくぐって、シリア以外の勢力が大胆な事件を起こすことはできないと思われたからだ。

 シリアを疑う理由はこれだけではない。ハリリ前首相は強固な反シリア派で、シリア軍撤退要求グループの1人。去年10月、首相を辞任したのも、親シリア派のラフード大統領が11月の任期満了を前に、シリアの画策で任期を3年延長したことに抗議したためだった。そして、5月に予定されている国民議会選挙で自派の勢力拡大を目指して運動中だった。シリアがこの前首相の動きを阻止しようとして手を下したとしても不思議ではなかった。BBCによれば、前首相は暗殺の直前、同じ反シリア派の指導者ジャンブラット氏に対して「暗殺されるとすれば、2人のうちのどちらかだ」と語り、シリアの動きを警戒していたという。

 暗殺のニュースが流れると、ベイルートの街はシリア軍撤退を要求するデモで埋まった。ラフード大統領、カラミ首相など親シリア派一色の内閣に対する不満も一気に吹き出した。シリア軍撤退の要求は昨年9月、国連安保理が1559決議で、即時全面撤退を要求。これと並行して、米仏両政府も撤退の圧力をかけていたが、レバノン国内の撤退要求の高まりはこの圧力を一層強めた。デモも日毎に激しくなり、2月28日には親シリア派のカラミ内閣を総辞職に追い込んだ。一方、シリアのアサド大統領も3月5日の国会演説で、撤退を表明せざるをえなくなり、部隊をベッカー高原の国境沿いまで移動させた。同大統領が情報機関員も含めた完全撤退に応じるのかどうかなど、まだ疑問もあるが、シリア陣営が揺らぎだしたことは間違いない。


・親シリア派が大規模なデモで巻き返し

 ブッシュ大統領は3月8日国防大学で演説、「中東では過去数十年間、民主主義の動きは凍結していたが、突然今、雪解けが始まった。この動きを中東全域に広げることはテロの根絶に不可欠である」と強調。シリアとイランに対して、「この自由に向かう勢いを阻んではならない」と警告した。ブッシュ政権は、イラクの選挙や、イスラエルとパレスチナの和平気運、エジプトのムバラク大統領が提案した大統領複数候補制などを中東民主化の新しい動きと捉えている。ブッシュ大統領の演説は、これにレバノンの動きも加え、民主化の動きが拡大していると自讃したのだ。

 だが、事態はそれほど単純でないこともすぐにわかる。ブッシュ大統領が演説したのと同じ3月8日、ベイルートでは親シリア派が大規模なデモを展開、シリア軍の撤退反対、米の介入反対を叫んだ。ワシントン・ポストによれば、参加者は50万人。それまでの反シリア派のデモが数万人規模だったのと比べ、一桁違う動員力だった。しかも、このデモを組織したのは、米歴代政権がテロ組織と認定しているイスラム教シーア派の過激派ヒズボラだった。ホワイトハウスのマクレラン報道官は、このデモについて記者団の質問に答え、「市民が自由に自分の意見を主張できるのは良いことだ」と冷静な見解を示した。しかし、このデモがレバノン政界に与えた影響は大きかった。

 デモから2日後の3月10日、ラフード大統領は辞任したばかりのカラミ氏に首相就任を要請する。国民議会が出席議員126人のうち71人の賛成で、カラミ氏の再登場を決議したからだ。同氏は2月28日、シリア軍の撤退と民主化を要求するデモに追い詰められるように首相を辞任したが、8日の親シリア派のデモで雰囲気が一変、議会の親シリア派議員がカラミ氏の再登場を決めた。同氏は組閣にあたって反シリア派議員も加えた挙国一致内閣の方針を示しているが、成果はあがっていない。国民議会は5月末までに総選挙を実施する規定だが、このままでは選挙日程も決めることができず、政局の空白は必至となる。


・中東民主化へのさきがけか、混乱か

 レバノンの現在の政治体制は、キリスト教各派とイスラム教各派を勢力に応じて割り振る構成になっている。1975年から15年続いた各派間の内戦を終結させ、和解をはかるための工夫だった。この割り当てにもとづき、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国民議会議長はシーア派が就任してきた。議会の構成も、キリスト教、イスラム教双方が64議席ずつ平等に分ける。しかし、キリスト教、イスラム教とも同じ政策で一本化しているわけではない。宗派は同じでも、政治家によって政策は大きく異なる場合が多い。シリア政策では、キリスト教マロン派のマフード大統領と、イスラム教スンニ派のカラミ首相は宗教が違うが、揃って親シリア。一方、暗殺されたハリリ前首相はカラミ首相と同じスンニ派だが、反シリアだった。前首相は暗殺されたとき、宗派の枠を越えた反シリア勢力の結集を目指して運動中だった。それがシリアの関与を強く疑わせる理由にもなっている。

 一方、シリアがレバノンに軍隊を駐留させる背景には、対イスラエル戦略がある。駐留のきっかけは、1975年のキリスト教徒とイスラム教徒の内戦に対し「平和維持軍」の役割を果たすことだった。だが、その後情勢は二転三転。シリア軍駐留の目的は、西欧的なレバノンがイスラエル支持に傾斜するのを阻止し、同時にレバノン国内にイスラエル攻撃の基地を確保することに変わってきた。レバノン内のシーア派が82年、過激派組織ヒズボラを結成。イスラエルに対するテロ攻撃や、当時レバノンに駐留していた米海兵隊への攻撃を繰り返すと、シリアとイランがこれを積極的に支援した。

 ブッシュ政権が掲げる中東和平構想では、シリアとイランは同構想を妨害する存在である。シリア軍とシリア情報機関員の撤退は、同構想の実現にあたって不可欠の事項なのだ。しかし、シリア軍はイスラエル戦略の一翼であった半面、レバノン国内の治安を維持する柱になっていたことも事実。問題は今後、そのシリア軍が撤退したあと、誰がシリアに代わって治安維持の中心になるかということだ。レバノン政府にその力があると言い切る見方は少ない。ヒズボラだけを見ても、同派が国民議会に議員9人を出す合法政党の顔を持つ一方で、民兵2万人を抱える巨大な武装集団であり、一筋縄では統制できないだろう。ブッシュ大統領はイラク選挙を民主主義への歴史的転換と評価したが、その一方で大規模なテロが次々と起きている。シリア軍が撤退したあと、レバノンが同じような混乱に陥らないかという不安があることも事実なのだ。


掲載、引用の場合は持田直武までご連絡下さい。


持田直武 国際ニュース分析・メインページへ

Copyright (C) 2005 Naotake MOCHIDA, All rights reserved.