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イラク戦争、米ロの諜報戦
持田直武 国際ニュース分析

2006年4月2日 持田直武

ブッシュ政権は開戦の口実を得るため様々な工作をした。フセイン暗殺、イラク要人の亡命工作、また、米軍偵察機を国連機に偽装し、イラク軍に撃墜させるという謀略もあった。そして、フランスは要人の亡命工作に協力した。しかし、ロシアはイラクを支援し、米軍司令部のスパイから得た情報をフセイン政権に提供した。だが、それには、米軍が仕組んだ巧妙なニセ情報が入っていた。


・米軍司令部内のロシアのスパイ

 米統合軍は3月24日、イラク戦争の報告書を公表、ロシアがスパイを使って開戦前後の米軍の情報を集め、フセイン政権に渡していたと主張した。米軍占領後、バグダッドでイラク政府の記録を押収、分析して判明したという。それによれば、スパイは、イラク戦争を指揮した米中央軍司令部に潜伏して、米軍の作戦計画や部隊編成の情報を入手、これをロシアのイラク駐在大使がフセイン政権に渡したという。開戦前の作戦情報が敵側に漏れたというのだから、米軍としては大失態である。

 ライス国務長官は28日、上院の公聴会でこの件を「深刻に受けとめる」と述べ、ロシアのラブロフ外相に対し、事実関係の調査を要求したことを明らかにした。しかし、米軍首脳の反応は、これとはかなり違っていた。ラムズフェルド国防長官は記者会見で、「数ヶ月前、報告を聞いたが、この件は気付かなかった。もう一度よく検討する」と発言。また、ペース統合参謀本部議長は「フセイン政権をだますための米軍の情報操作」の可能性も示唆した。

 米統合軍の報告書は、米軍が押収したフセイン政権の記録を分析したもので、今回の公表はその一部。ロシアのスパイの件も、すべて公表されたわけではない。この公表の翌日、英紙ザ・タイムズは「米軍がロシアのスパイを逆に使ってニセ情報を流した可能性がある」と伝えた。米軍はスパイに気付いたが、そのまま泳がせ、ニセ情報を流してフセイン政権を混乱させたという。ライス長官がロシアに抗議したのは、いわば外交上の形式的抗議ということになる。


・フセイン大統領に届いたニセ情報

 米統合軍の報告書には、確かに米軍が流したニセ情報を推測させる例もある。その1つは、フセイン政権のサブリ外相が大統領に送った02年4月2日付けのメモ。同外相は「ロシアのチトレンコ大使から得た情報によれば、米軍のバグダッド攻撃は陸軍第四師団が4月15日に到着したあとになる」と書いている。しかし、このメモを書いた翌日の4月3日、米軍は攻撃を開始。バグダッド南端にあるフセイン空港を占領、首都攻略の拠点を築いた。フセイン大統領はニセ情報を掴まされて、充分な反撃もできないまま空港を失ったことになる。

 ロシアがフセイン政権を様々な面で支援したことは当時も知られていた。開戦の3日前、プーチン大統領はプリマコフ元首相をバグダッドに派遣、フセイン大統領に「大統領を辞任し、米軍の攻撃を回避するよう勧めた」という。実現しなかったが、両国の関係の深さを世界に示すことになった。03年4月、米軍がバグダッドのイラク情報省を占拠した時、同行した英紙サンデー・テレグラフのハリソン記者は、散乱した書類の中にブッシュ大統領がイギリスのブレア首相はじめ外国首脳と会談した際の極秘文書があるのを発見した。明らかにロシアが渡したものだったという。

 ロシアのチトレンコ大使は03年4月6日、米軍の砲火の中、大使館を脱出して空港へ向かった。その途中、大使の車列は米軍の攻撃を受けて大使と随員3人が負傷した。ロシア政府は抗議するが、ロシア駐在のバーシュボー米大使(現駐韓大使)は「事故は、ロシア側が事前に決めたルートを変更したため起きた」と回答した。3日後、ロシアの新聞ネザビシマヤ・ガゼータは「米軍の攻撃は、ロシアが運び出そうとした機密書類を奪うためだった」と報道。バーシュボー大使は米紙のインタビューに答え、「ロシアとイラクの情報機関が協力しているのは知っていた。もう少し事実を確認し、結論を出したかった」と語った。


・ブッシュ政権が計画した挑発作戦の数々

 開戦にあたって、ブッシュ政権は国連安保理の武力容認決議が欲しかった。だが、仏独中ロが反対、決議が通る見込みはない。そこで、同政権は武力容認決議なしで開戦するための策略をめぐらせた。3月27日のニューヨーク・タイムズによれば、開戦前の03年1月31日、ブッシュ大統領はホワイトハウスでブレア英首相と会談し、その例として、次の3つを挙げたという。

・U2型偵察機を国連機のように塗装して飛行させ、イラク軍の攻撃を誘う。
・フセイン大統領を暗殺する。
・イラク要人の亡命を手引きする。

 この会談内容は、ブレア首相の外交顧問マニング氏がメモし、極秘扱いだったが、今年1月から2月にかけてイギリスの出版物やテレビが一部を報道、3月に入ってニューヨーク・タイムズが全文を入手したという。ブッシュ大統領が挙げたU2偵察機の国連機偽装は、もしイラク軍がこの偵察機を攻撃すれば、国連の査察を妨害した安保理決議違反として、米軍がイラク攻撃を開始するという謀略だった。偵察機がこの案に沿って飛行したかどうか確認はない。目論みどおりになれば、ベトナム軍事介入の引き金になったトンキン湾事件に次ぐ、謀略事件になった可能性もある。

 フセイン大統領の暗殺計画も、開戦前の関心の1つだった。02年10月1日、ホワイトハウスの報道官は「イラク国民が一発の弾丸でフセイン大統領を倒すのが、最も安上がりの解決法」と述べた。また、ワシントン・ポストは同年10月6日、「米軍総攻撃の前、フセイン大統領はクーデターで倒される」と伝え、ニューヨーク・タイムズも14日、「ブッシュ政権が反フセインの反乱を支援している」と伝えた。いずれも、ブッシュ政権高官が情報を提供、フセイン政権の揺さぶりを狙ったものだった。


・フランスは米CIAと協力しサブリ外相の亡命工作

 ブッシュ政権はこうしてフセイン政権を揺さぶりながら、イラク政府要人の亡命工作も進めた。亡命者から大量破壊兵器の情報を取り、フセイン政権を揺さぶるのが狙いである。その亡命工作の対象になった1人が、サブリ外相だった。3月20日のNBCテレビによれば、同外相はもともとフランスのスパイだった。米CIAが接近したのは、開戦6ヶ月前の02年9月。フランス情報機関を通じて同外相に10万ドルを贈り、その後もフランスの仲介で情報を取るようになった。しかし、同外相は米国への亡命には応じなった。

 フセイン政権崩壊後、ブッシュ政権はフセイン政権を支えた幹部55人を賞金付で指名手配する。しかし、同外相はこのリストからはずれた。その後、同外相の消息は途絶えるが、最近になって、カタールの大学で教授に就任していることがわかった。しかし、メディアの取材は一切断っている。フランスは、国連安保理で、米英が主張した武力容認決議に強く反対したが、情報機関は協力した。ドイツも表面では、武力容認決議に反対したが、前々回のニュース分析で取り上げたように、情報機関は水面下で米作戦に協力した。国際政治では、表と裏の動きがあり、表の動きだけで全体の判断は難しいことを示している。

 ロシアやフランスが国連の武力容認決議に反対したのは、フセイン政権と結んだ石油利権を守るためだった。91年の湾岸戦争後、フセイン大統領は米英と対決する手段の1つとして、ロシア、フランス、中国などに油田の開発権を与え、味方につけようとした。開発契約を結んでも、国連が経済制裁を科しているため事業化は無理だったが、埋蔵量世界第2位の将来性が各国を惹き付けた。イラクは依然、治安は回復せず、復興の見通しは立たない。だが、各国がフセイン時代に得た石油利権を放棄したわけではなく、何時また復活の争いが起きても不思議ではない。


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