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イラク戦争 主敵はイラン
持田直武 国際ニュース分析

2008年4月20日 持田直武

開戦以来5年、米軍の主要作戦目標がイランの活動阻止になった。イラン特殊部隊がイラクのシーア派民兵組織に武器を供給、兵士の訓練をしているという。3月から南部バスラとバグダッドで続いた戦闘は、この両者の緊密な関係を浮き彫りにした。ホメイニ革命以来の米・イランの確執がイラクにも波及した。


・イラン特殊部隊がシーア派民兵を訓練

 ワシントン・ポストは12日、ブッシュ政権が「イランの破壊活動がイラクに於ける最大の脅威と判断した」と伝えた。イランが反米強硬派サドル師との連携を強化、同師指揮下のシーア派民兵組織マフディ軍団に武器を供給、訓練もしているという。イラク治安部隊が3月末からマフディ軍団を攻撃したが、同軍団はその反撃にあたってイランから武器補給を受けたという。イラクでは、これまでテロ組織アル・カイダが脅威だったが、最近はイランがこれに代わったことになる。

 この3月末からの戦闘は、マリキ首相が初めてイラク治安部隊を大規模に投入して開始。攻撃目標は初め南部バスラのマフディ軍団の拠点だったが、数日してバグダッドにも戦闘が拡大。同軍団側は米大使館やイラク政府機関が集中する安全地帯グリーン・ゾーンにもロケット弾を打ち込んだ。米側がこれら兵器類を調べた結果、いずれも最近イランで製造されたことが判明。その使い方や戦術などから見て、背後でイランの特殊部隊クッド・フォースが動いているとの見方も出ている。

 クッド・フォースは、イラン革命防衛隊傘下の特殊工作部隊で隊員1万5千。主要任務は米とイスラエルに対する特殊工作である。イランはイラクでフセイン政権が崩壊したあと、イラク武装勢力に武器を供給、中でも道路脇に仕掛ける特殊地雷は装甲車や戦車の鋼板を突き破るほど強力で、米軍戦死者の40%はそれが死因だった。イランは一時これら武器の供給を停めたと言われたが、最近はマフディ軍団などシーア派民兵組織を通じて供給を再開したとみられている。


・マフディ軍団掃討作戦は失敗

 3月からの軍事作戦のねらいの1つは、このマフディ軍団の掃討だった。マリキ首相は自らバスラに出向いて指揮を執ったが、作戦は失敗だった。動員したイラク軍6,600人のうち約1,000人は攻撃命令が出ても従わず戦闘を拒否。相手側に寝返る兵士もいた。「同胞とは戦えない」が主な理由だったが、「相手のマフディ軍団は士気が高く、力の差が歴然としていたため」との見方もある。イラク政府は4月13日、戦闘を拒否した指揮官と兵士1,300人の解雇を発表した。

 マリキ首相がこの作戦でねらったもう1つが、石油密輸組織の壊滅だった。密輸容疑で名前が挙がったのは200人余り、バスラ州のワエリ知事の弟やマフディ軍団と関係のある地元有力者も含まれていた。密輸額ははっきりしないが、年間50億ドルに上るとの推定もある。この資金がマフディ軍団に流れ、同軍団の活動資金に使われる疑いもあった。治安部隊は作戦開始と同時に、密輸組織の拠点を急襲したが、知事の弟は事前に作戦を察知してクウエートに逃亡した。

 この密輸組織の手入れにはシーア派内の勢力争いもからんでいた。バスラ州のワエリ知事はシーア派では少数派のファディラ党所属。サドル師に近く、油田地帯の知事として石油省にコネがあった。このため、マリキ首相は1月政府の機構改革をして同省の密輸取り締まり権限を内務省に移管、新たに石油警察を新設した。こうして同知事の力を奪った上で、密輸組織を急襲した。作戦はマリキ首相と関係者だけが知る極秘事項だったが、それも漏れたらしく知事の弟は逮捕できなかった。


・イランの影響力拡大と米の役割

 3月の軍事作戦はマリキ首相とシーア派最大の政党イスラム最高評議会のハキム議長が計画した。石油密輸組織の摘発などもあったが、真のねらいは10月の地方選挙の前、サドル師の力を削ぐことだった。だが、作戦開始とともに兵士の戦闘拒否など思わぬ事態が続出。これに対し、マフディ軍団は地の利を得ていることや、イランから迫撃砲など大量の武器補給を受けたこともあって士気が旺盛。米英軍による空爆などの支援がなければ、治安部隊は大敗したとみられている。

 バスラの戦闘は結局、イランが仲介して終息した。サドル師とマリキ首相の側近がイランのシーア派の聖都コムで会談。戦闘開始から5日後の3月30日、双方が休戦することで合意、翌31日戦火は下火になった。サドル師、マリキ首相双方ともイランの指導者との緊密な関係を無にすることはできないのだ。4月4日のワシントン・ポストはイラクのスンニ派国会議員の言葉を引用、「バスラの事態はイランがイラク国内に持つ影響力の強さと米国の役割の弱さを遺憾なく示した」と伝えた。

 フセイン政権を倒して5年目、ブッシュ政権の主敵はフセインとアル・カイダからイランに替わった。30年前のホメイニ革命で決裂して以来、中東各地で確執を続けた宿敵だ。だが、イラクのシーア派はイランを敵視しない。それどころか、フセイン政権の圧制時代、救援の手を差し出した恩人だ。3月からの戦闘で、ブッシュ政権はイランの介入を強く非難するが、イラク政府関係者からイラン非難の声は聞こえない。米軍駐留の意義を再検討するべき時なのだろう。


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