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9・11テロ事件の首謀者は何故捕まらないか
持田直武 国際ニュース分析

2009年9月6日 持田直武

2001年9月11日、米国で9・11同時多発テロ事件が起きてから8年。事件の首謀者ビン・ラディンは依然捕まらない。アフガニスタンとパキスタン国境の山岳地帯に潜伏しているとみられるが、詳しいことは分からない。米が主導するテロ戦争の基本戦略に原因があると指摘する声もある。


・捕まえるチャンスはあった

 ビン・ラディンが関与した最初のテロ事件は1992年12月、イエメンの港湾都市アデンのホテル爆破だったと言われている。それ以来、米国で9・11同時多発テロ事件を起こしたほか、各国で多数のテロ事件に関与したと疑われている。だが、まだ一度も捕まったことがない。しかし、米国はこれまでに少なくとも2回、ビン・ラディンの身柄を確保するチャンスがあったとみられている。最初の機会は95年から翌年にかけて、次は9・11テロ事件の直後だった。

 95年当時、ビン・ラディンはスーダンに滞在し、サウジアラビア王室に対する批判を展開した。湾岸戦争を契機に、同王室が国内に米軍の駐留を認めたからだ。同王室は激怒し、ビン・ラディンの市民権を剥奪、スーダン政府に対して彼を国外追放するよう要求した。この追放要求にエジプトも加わった。エジプトではこの直前、過激派組織イスラム同胞団がムバラク大統領の暗殺を計画。未遂に終わったが、エジプト政府はこの事件にビン・ラディンが関与したと疑っていた。 

 95年暮れ、圧力を受けたスーダン政府はビン・ラディンをサウジアラビアに追放する提案をした。しかし、サウジアラビア政府はこれを受けなかった。市民権を剥奪したビン・ラディンを受け入れるには恩赦が必要だが、それは出来ないとの理由だった。9・11事件に関する米政府の報告書によれば、スーダンは翌96年2月、今度は米政府に接触。スーダンのエルワ国防相は「この時、ビン・ラディンを米国に引き渡す」と提案したと主張している。しかし、これも実現しなかった。


・米国の司法制度が壁となる

 9・11事件の米政府報告書は、引き渡しが実現しなかった背景にも触れている。報告書はその中で、スーダンが米国への引き渡しを提案したとの証拠が見つからず、事実関係を確認できないと指摘。その上で、提案が事実としても、当時のクリントン政権にはそれを受け入れる権限がなかったことも指摘している。このため、同政権はスーダン駐在のカーニー大使に対して、ビン・ラディンの国外追放の実現に向けて動くよう訓示を出したが、受け入れについての明確な指示はしなかった。

 米政府がビン・ラディンの身柄引き渡しを要求する権限を持つのは、それから3年後。連邦大陪審が98年6月、サウジアラビアのリヤドで国家警備隊施設を爆破したテロ事件の首謀者としてビン・ラディンを起訴した時からだ。このテロ事件が起きたのは95年11月14日、ビン・ラディンの身柄引き渡し交渉はこの直後から始まった。米政府はビン・ラディンがこのリヤドのテロに関与したとみて追求したが、起訴するのに時間がかかり、身柄引き渡しを要求できなかった。

 結局、スーダンは身柄引き渡しを断念。ビン・ラディンは96年5月、部下と共にチャーター便でスーダンを出国、内戦下のアフガニスタンに移動した。その4ヶ月後、イスラム原理主義派のタリバンが他派を抑えて首都カブールを占領、イスラム主義国家を建設した。同派の最高指導者オマール師はビン・ラディンを同盟者として処遇し、アフガニスタンにアル・カイダの訓練キャンプ設置を許可。ビン・ラディンはアフガニスタンを拠点として各地でテロ活動を展開することになった。


・米軍は引渡し提案を拒否して武力行使

 米連邦大陪審はリヤドの事件でビン・ラディンを起訴したあと、98年11月にケニアとタンザニア両国で起きた米大使館爆破事件でも彼を起訴。米政府はその都度タリバン政権に身柄の引き渡しを要求した。だが、タリバンは応じないまま、01年の9・11テロ事件が勃発。ブッシュ政権は9月20日、タリバン政権に対してビン・ラディンの引き渡しとアル・カイダ訓練キャンプの閉鎖などを要求、10月7日までに応じなければ武力行使するとの最後通牒を送った。

 これに対し、タリバン政権は9月21日、パキスタン経由の声明で「ビン・ラディンが9・11テロ事件に関与した証拠がない」として米の身柄引き渡し要求を拒否した。その一方で秘密ルートを通じ「ビン・ラディンをパキスタンに引き渡し、イスラム法に基づく国際裁判にかける」と米に提案した。しかし、これはパキスタンが拒否した。米の最後通牒期限切れが迫った10月7日、タリバンは新たに「ビン・ラディンをアフガニスタンでイスラム法に基づいて裁判する」と提案した。

 しかし、ブッシュ政権はこれを拒否、米英軍を中心とする有志連合軍がアフガニスタン各地で軍事行動を開始した。タリバン政権は攻撃開始1週間後の10月14日にも「ビン・ラディンを第三国に引き渡し、裁判にかけることに応じる」と回答した。これまでの回答の中では、もっとも譲歩した内容だったが、ブッシュ大統領はこれを拒否して武力行使を続行した。その結果、タリバン政権は11月に崩壊。ビン・ラディンはタリバン指導部と共にパキスタン国境の山岳地帯に撤退した。


・米の基本戦略に疑問浮上

 タリバンは一時壊滅状態になったとみられたが、その後パキスタン国境沿いの山岳地帯で組織を再編。09年はアフガニスタン領土の3分の2に浸透、さらに隣国パキスタンにも同調する組織を増やすなど勢力を拡大した。これに対し、米軍は6万8000人、NATO(北大西洋条約機構)軍は4万人を投入。タリバンの掃討と治安回復を重点とする作戦を展開しているが、情勢は極めて深刻との見方が一般的。米国内には米軍の基本戦略に疑問を表明する論調も現れている。

 その1つが、米のコラムニスト、ジョナサン・パワー氏が先月8月27日に配信した「逃した機会」というコラム。同氏は「ブッシュ大統領はビン・ラディンを捕らえるためと主張して米軍を派遣した。そして、大量の爆弾を投下して9・11テロの何倍もの犠牲者を出した。だが、ビン・ラディンには弾丸は一発も届かなかった」とこれまでの米軍の作戦に疑問を表明。ビン・ラディンを捕らえるには、イスラエルがナチス指導者アイヒマンを追跡した方法(注1)を採用するべきだと主張した。

 オバマ大統領は近くアフガニスタンに米軍を増派するかどうか決定をする。ゲーツ国防長官や米軍幹部は増派を期待している。増派しなければ、戦況はさらに悪化、米兵の犠牲が増えるのは確実だからだ。だが、最近の米世論は厳しい。9月1日のCNNの調査では、米国民の57%が「アフガニスタンの戦争は戦う価値がない」と考えている。4月の調査より11%も増えた。オバマ大統領が米軍増派をすれば、軍幹部は満足するが、国民は失望する。そして、ビン・ラディンはほくそ笑むに違いない。

(注1)政府がナチス幹部の追跡専門の秘密捜査局を設置し、世界各地から情報収集し、秘密捜査官を各地に置いて追跡する方法。アイヒマンはホロコーストの責任者だったが、戦後アルゼンチンに逃れ、潜伏中に捜査官に捕まり、62年に処刑された。この追跡は今も続いている。
ソ連のスターリンもこの方法で、政敵のトロッキーを追跡、メキシコ潜伏中と分かると、捜査官を隣の家に住み込ませ、1940年に隙を見て暗殺した。


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