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ビン・ラディン殺害 米国の論理
持田直武 国際ニュース分析

2011年5月10日 持田直武

オバマ大統領がビン・ラディンの殺害を発表、テロ犠牲者の遺族に対して「正義は成された」と報告した。米国内では、殺害は国内手続きの面でも、国際法上も問題はないとの主張が圧倒的。だが、米部隊がパキスタン領内に無断で侵入、無抵抗のビン・ラディンを射殺したとの疑いも根強く、今後に多くの問題を残す懸念もある。


・「正義」がテロ戦争の大義

 米海軍特殊部隊がパキスタン領内のビン・ラディンの隠れ家を急襲、殺害した。パキスタン時間の5月2日早朝、ワシントンはまだ1日、日曜日の午後だった。オバマ大統領はその日の深夜テレビで米国民と世界に宛てた声明を発表、「テロ組織アルカイダの首領で、数千の罪なき人たちを虐殺した責任者ビン・ラディンを殺害したことを報告する」と述べた。また、オバマ大統領は「アルカイダのテロで愛する人を失った遺族に対して『正義は成された』と報告する」とも述べた。

 2001年の9・11テロ事件のあと、米が事件の首謀者ビン・ラディンとテロ組織アルカイダを標的にテロ戦争を開始してから10年。「正義」は、この戦争を遂行する米国の大義となった。開戦にあたって、当時のブッシュ大統領は01年9月20日議会の上下両院合同会議で演説し、「我々の悲嘆は怒りになり、次いで決意に変わった。我々がこの戦いで敵を『正義』の場に引き出すか、それとも我々が『正義』を敵に突きつけるか、いずれにせよ正義は成される」と強調した。

 ブッシュ大統領はまた「この戦いで、神は米国の味方だ」と次のように主張した。「テロとの戦いが今後どんな曲折をたどるかまだわからない。だが、その結末ははっきりしている。自由と恐怖、正義と残酷、これらは常に相争っている。神がどちらの味方か、我々はよく知っている」と述べ、神は「自由と正義」を掲げる米国の味方だと主張した。オバマ大統領が1日のテレビ演説で「正義は成された」とテロ犠牲者の家族に報告したのは、このブッシュ演説の論理を引き継いだものだ。


・テロ戦争に対する国際社会からの反論

 米国が軍隊を動員してテロ事件の首謀者と戦争するのは初めてだ。9・11事件の直後、世論は「報復すべきだ」との要求が圧倒的だった。これを背景に、ブッシュ大統領は自衛権の発動としての戦争を主張。戦争の大義として「正義」を掲げた。米議会もこれを支持し、ブッシュ大統領に戦争権限を与える決議をした。しかし、国連安保理は米の要求にも拘らず、武力行使の権限を与えなかった。国際社会では、米がテロに対して自衛権を発動することはできないとの意見が強かったためだ。

 今回のビン・ラディン殺害でも、この対立は再現した。米海軍特殊部隊がパキスタン政府に無断でビン・ラディンの隠れ家を急襲したのに対し、国際社会はこれを国際法違反として非難したのだ。これに対して、ワシントン・ポスト(電子版)は5月4日の社説で「何の問題もない」と反論した。「ビン・ラディンがパキスタン政府の保護を受けていると思える節があり、米が同政府に攻撃を知らせなかったのは正しい」というのだ。事前に攻撃を知らせれば、ビン・ラディンは逃亡すると見ていたのだ。

 また、米特殊部隊が丸腰のビン・ラディンを射殺したと見られることも問題になっている。米政府が最初は「銃を取って抵抗した」と説明したが、あとで「武器を持たず抵抗した」と訂正したことが疑いを深めた。米が死体の写真公開をしないことも疑いに拍車をかけている。武器を持って抵抗すれば、射殺もやむを得ないというのが、従来からの原則だが、米には別の見解もある。テロリストの中には身体に爆弾を巻きつけて忍び寄る例もあり、銃を持たないから安全と言えないというのだ。


・深刻な米・パキスタン両国関係の悪化

 この対立の背景には科学技術の発達で新兵器が次々と登場、その活動が国際法の枠に収まらないという事情もある。テロ戦争で初めて実戦に登場した無人攻撃機がその良い例だ。米軍は01年10月、テロ戦争開始と同時に無人攻撃機プレデターをアフガニスタンに投入、パキスタンとの国境地帯でイスラム過激派を攻撃した。しかし、攻撃がしばしばパキスタン領内にも及び、パキスタン政府と軋轢を起こしたが、最近は無人攻撃機の攻撃を条件付きで認める了解が成立したと言われる。

 上記ワシントン・ポストの社説が「ビン・ラディンの隠れ家急襲をパキスタン政府に知らせなかったのは正しい」と主張したのは、この了解を根拠にしている。同紙は「米にとっては無人偵察機による攻撃も、地上部隊による攻撃も自衛権の発動である点は同じである。従って、今回海軍特殊部隊がビン・ラディンの隠れ家を急襲するにあたって、パキスタン政府にあらためて通告する必要はなかった」という論理を展開した。パキスタン側がこの論理に納得しないのは言うまでもない。

 この問題をめぐる両国の対立は6日になってさらに悪化した。パキスタンのテレビが同国に駐在する米のCIA(米中央情報局)責任者の名前を放送し、翌7日には新聞も報道した。同責任者は今回のビン・ラディン殺害作戦の現場責任者、その氏名や住所を公表すれば報復テロの対象として命を狙われかねない。米政府は冷静を装っているが、ワシントン・ポストはパキスタンの情報機関がビン・ラディン殺害作戦に対する報復としてメディアに名前をリークしたとの疑いを伝えている。


・9・11事件の記憶は消えず

ビン・ラディンの殺害が契機になって米国内の世論が再び過熱している。オバマ政権の発足直後、クリントン国務長官は「今後テロ戦争という言葉は使わない」と記者団に語ったことがあった。米の保守派が好む「正義」を戦争の大義としたブッシュ路線から撤退する意図が見えた。それから2年、オバマ大統領は1日深夜のテレビで「正義は成された」と報告し、ブッシュ路線を蘇らせた。米の各地で支持のデモが起き、同大統領にエールを送った。9・11テロ事件の記憶はまだ消えていないのだ。


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