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米大統領選挙 共和党はロムニー候補で勝てるか
持田直武 国際ニュース分析

2012年7月29日 持田直武

ロムニー候補の履歴書は父親と瓜二つである。父子とも青年時代モルモン教の宣教師として活動。その後2人とも実業界で成功したあと政界に転身、共和党穏健派の州知事として実績を積んだ。そして2人とも大統領の座を目指して2回立候補したが、父親は2回とも予備選挙で敗れて断念した。息子は現在2回目に挑戦中だ。


・父子とも時代の花形産業で資金を蓄積

 共和党の大統領候補ミット・ロムニーは1947年3月自動車産業の中心地ミシガン州デトロイトで生まれた。父ジョージ・ロムニーは自動車生産者協会の首席報道官で熱心なモルモン教の教区幹部だった。当時第二次世界大戦が終わって2年目、自動車業界はGM(ゼネラルモーターズ)などビッグ・スリーの大型車が市場を支配していた。だが、これに疑問を持ったジョージ・ロムニーは48年中小工場の合併を支援してアメリカン・モーターズを設立、大型車に対抗してコンパクト・カー路線を打ち出した。これがヒットしてジョージ・ロムニーは54年アメリカン・モーターズのCEO(経営責任者)になった。

 その息子ミット・ロムニーはジョージの4番目の子供で次男だった。スタンフォード大学に入学したが1年で退学。父に倣ってモルモン教の宣教師としてフランスに渡り2年半を過ごした。帰国してハーバード大学を卒業、1977年経営コンサルタント会社のベイン&カンパニーに加わった。そして84年、ミット・ロムニーは支援者と投資顧問会社ベイン・キャピタルを設立し、短期間で業界一と言われる会社に育てた。1999年、ミット・ロムニーはその手腕を買われてソルトレーク・シティ冬季オリンピックの組織委員会委員長に就任し、ベイン・キャピタルを辞任した。ミット・ロムニーが同社に在籍した期間は15年、その間に蓄積した資産は1億9000万ドルとも2億5000万ドルとも言われる。


・父子とも共和党穏健派として大統領選挙に立候補

 実業界で成功したあとロムニー父子が目指したのは州知事と連邦上院議員の座だった。どちらも大統領を狙う座である。父ジョージ・ロムニーは1962年の選挙でミシガン州知事に共和党から立候補して当選した。自動車産業が支える同州でアメリカン・モーターズの会長という知名度がものを言った。同州の知事は任期2年、ジョージ・ロムニーは67年まで3期勤めた。任期中の功績は、全米で初めて州財政に所得税を導入して財源を安定化し、州政府の福祉部門を拡大したことだ。「小さい政府で減税」を主張する保守派は反対したが、押し切った。

 ジョージ・ロムニーはその後共和党穏健派の立場から大統領選挙に2回立候補した。1回目は1964年、知事の任期1期目の時だ。共和党の予備選挙は当時保守派の重鎮だったゴールドウオーター上院議員が終始リードしていた。ジョージ・ロムニーは少数派の穏健派を代表する形でこれに挑んだが、予備選挙の結果はゴールドウオーターが圧勝、ジョージ・ロムニーは4位に終わった。それから4年後の68年、ジョージ・ロムニーは2回目の挑戦をする。だが、この時も保守派のニクソン元副大統領が予備選挙で圧勝し、穏健派ジョージ・ロムニーは代議員獲得数で5位に終わった。ニクソンは翌年大統領に就任すると、ジョージ・ロムニーを住宅都市開発省の長官に任命した。ミシガン州知事としての手腕を評価した人事だった。


・ミット・ロムニーオリンピック委員長で知名度高める

 息子のミット・ロムニーが政界に転身するのは1994年からである。居住地のマサチューセッツ州上院議員選挙に共和党から立候補した。政治的立場は父ジョージ・ロムニーと同じ共和党穏健派だった。予備選挙は大差で勝利して共和党の上院議員候補の指名を確保。本選挙で民主党リベラル派の重鎮で現職のエドワード・ケネディ上院議員と対決した。引退した父親ジョージ・ロムニーやモルモン教の関係者が大挙して支援したが、得票はエドワード・ケネディ58%、ミット・ロムニー41%で大敗だった。

 ミット・ロムニーは消沈してベイン・キャピタルの勤務に戻った。しかし、この選挙が契機となってミット・ロムニーは2002年開催のソルトレーク・シティ冬季オリンピック組織委員会委員長に就任することになった。その頃冬季オリンピック組織委員会は財政的に混乱し、ミット・ロムニーのような専門家が必要だった。彼は懸念された赤字を解消して最終的には1億ドルの黒字で締め括った。この成功が評価されてミット・ロムニーの知名度は全国的に広まり、大統領への野心が再燃することになった。

 ミット・ロムニーが次に狙ったのはマサチューセッツ州知事の座だ。彼は冬季オリンピックが終わった1ヶ月後の02年3月立候補宣言をした。ミット・ロムニーの評価は圧倒的で共和党から対立候補は1人も出なかった。11月の本選挙でもロムニーの得票率は50%、対抗馬の民主党候補45%で楽勝だった。州知事としては全国に先がけてマサチューセッツ州に国民皆保険制度を導入するなど実績を挙げたが、再選は求めなかった。1期目の任期が終わる07年1月に退任し、翌年の大統領選挙に備えたのだ。


・ミット・ロムニーは父ジョージを越えるか

 ミット・ロムニーも父ジョージと同様2回にわたって大統領選挙に立候補した。1回目は2008年、予備選挙の開始直後は勝つこともあったが、次第に勢いを失い、保守派のマケイン上院議員が共和党の大統領候補の指名を獲得した。共和党は党員の70%が保守派、穏健派は24%である。第二次世界大戦後の共和党大統領候補はすべて保守派だった。ロムニー父子はそこに穏健派の旗を掲げて切り込んだことになる。だが、ミット・ロムニーが2回目に立候補した時は違っていた。

 ミット・ロムニーは11年6月、2回目の立候補宣言をしたが、この時政治的立場を穏健派から保守派に大胆に転換したのだ。マサチューセッツ州知事時代、人工妊娠中絶を支持したが、今回の大統領選挙戦では中絶を認めない立場に変わった。知事時代の功績の1つだった国民皆保険制度についても反対の立場になった。小さい政府や減税、銃規制などについても保守派の主張に転換した。予備選挙では共和党の対抗馬から厳しい批判が浴びせられたが、保守派の候補が失言で次々と姿を消すなど、ミット・ロムニーに有利な展開もあり5月に共和党の大統領候補の指名を確実にした。

 だが、問題はこれでオバマ大統領に勝てるかである。世論調査ではオバマ大統領とミット・ロムニーの支持率はほぼ同率だ。しかし、オバマ支持者の51%が熱烈に支持しているのに対し、ミット・ロムニー候補の熱烈支持者は38%と劣る。選挙で勝つために保守派に転換したと疑われているのだ。同候補がモルモン教徒であることを理由に投票しないと答えた有権者も18%に上る。この他、ミット・ロムニーがベイン・キャピタル時代に蓄積した資産にからむ疑惑もある。2010年、ミット・ロムニーの確定申告によれば、収入は2170万ドル(20億円近く)と高額だったが、納税はそのうちわずか13.9%だったという。投票日まで残すところ3ヶ月余り、ミット・ロムニーがこうした疑問をクリアーできるか疑問もある。


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